説明のつかない痕跡

晩酌怪談

鹿肉の勘定

仕事帰りに入った居酒屋で、鹿肉のソーセージをつまみながら瓶ビールを飲んでいた。皿の上には四本あった。それだけは、よく覚えている。
写真怪談

内側に上がる花火

夜空の花火を見上げていた出店の女性。そのころ白いテントでは、誰も見ていない「内側」に、もう一つの花火が上がり始めていた。
写真怪談

水面より上の泥

池の水は増えていない。それなのに、清掃を始めた作業員たちの周囲では、「水際」だけが少しずつ高くなっていきました。
写真怪談

二重ガラスの人影

お盆明けの空港。駐車場から見上げたガラス張りの連絡通路には、歩いている人数とどうしても合わない人影がひとつありました。
写真怪談

笑顔を抜いた手

青空の下、笑顔に加工されたひまわり。抜き取ったはずの種は、いったいどこへ行ったのでしょう。
写真怪談

同行者の重さ

食事を終えた旅行者が立ち上がったとき、さっきまで片手で引いていたキャリーケースは、二人がかりでも床から離れなくなっていました。
ウラシリ怪談

西へ二十キロの片づけ

西へ進む台風の夜、空になった実家では、片づけたものが東の部屋から順番に元の場所へ戻り始めました。
ウラシリ怪談

一世帯に一度の灯り

新しい照明へ替えた老人の家では、毎日午後五時十五分になると、もう捨てたはずの灯りが食卓だけを照らしたそうです。
ウラシリ怪談

海面に戻る人

海の温度を測っていたサメは、毎夕ほんの数秒だけ、「温度のない海面」へ戻ってきたそうです。
ウラシリ怪談

風のない避難所で

風の入らない避難所で、誰も触れていない洗濯ばさみが二度だけ鳴りました。亡くなった祖母には、台風の夜に必ずしていたことがあったそうです。
晩酌怪談

手前だけぼやける

休日の昼、バイスハイボールの向こうで手前の焼きそばだけがどうしても焦点を結ばず、その何気ない「ぶれ」は店を出たあとも消えてくれなかった。
写真怪談

二秒先の寝返り

電車の揺れより二秒早く身体を傾ける、顔を伏せた女。その寝姿を見続けた乗客の日常に、奇妙な「遅れ」が入り込み始める。
写真怪談

家のほうから

帰る家を失った母子が、八月十五日の夕方に嗅いだ懐かしい匂い。帰省とは、本当はどちらが帰ってくることなのでしょう。
写真怪談

未退勤の箸

残業を終えて自宅で食べた、塩焼きそばと一枚のソースカツ。黒い箸を持ち上げた瞬間、退勤したはずの夜が再び記録され始めた。
写真怪談

色を捨てる倉庫

ごみ収集業者の倉庫で、赤、青、黒――捨てられた物から色だけが抜け始めた。雑多な資材の奥で、それらの色は一つの形を作ろうとしていた。
写真怪談

横へ落ちる道

魚や草花を描いた車止めが並ぶ静かな遊歩道で、落ちる方向だけが少しずつ狂い始めます。
ウラシリ怪談

十三歳の外側

十二歳までは、子どもだけで入れる広場。けれど閉場前、柵の内側には、とうに大人になった父親の「十二歳」が残っていました。
写真怪談

指定名のない木

名前を覆った瞬間、天然記念物の古木は消えた――それでも、木の形をした「空白」だけは、そこに立ち続けていた。