二秒先の寝返り

写真怪談

休日の午後、私は駅に停まった電車の中で、向かいの座席をぼんやり眺めていた。

寝相のひどい女がいた。隣に寄りかかるなんてものではなく、涎を垂らしそうなぐらいみっともない寝顔を晒しながら熟睡しているのに、動きがおかしかった。

電車が揺れたから身体が傾くのではない。女が先に傾き、その二秒後に、車体が同じ方向へ揺れるのだ。

休日の午後で、車内は立つほどではないが空席もなかった。女は窓際の座席で腕を固く組み、長い髪を膝の上へ垂らしている。向かいのホームにはオレンジ色の電車が停まり、窓の外を太い鉄骨が斜めに横切っていた。

女の肩が右へ沈んだ。

私はつり革を握り直した。直後、車輪が分岐器を踏み、車内全体が右へ跳ねた。

偶然だと思った。けれど女の頭が小さく前へ落ちた二秒後、電車は急に減速した。周囲の乗客が一斉につんのめるなか、女だけはほとんど動かなかった。先に済ませていたからだ。

次の駅を出るころには、私は女ではなく窓を見ていた。ガラスには座席と乗客の姿が薄く映り込んでいる。反射の中でも女は同じように俯いていたが、現実の女よりわずかに早く動いていた。

映った女が顔を上げた。

現実の女は眠ったままだった。腕も組んだまま、髪の奥から規則正しい寝息だけが漏れている。

二秒後、女の首が持ち上がった。髪が左右へ割れかけ、私は思わず目を逸らした。再び見ると、女は元の姿勢へ戻っていた。ただし窓の中の女だけは、まだ顔を上げている。

反射の顔は鉄骨の影に重なり、目元が見えなかった。口だけがこちらへ向けられている。薄く開いた唇が何かを数えるように、一度、二度、三度と動いた。

現実の女の唇は動いていない。

反射の右腕が、組んだ腕の下から抜けた。ゆっくりと伸び、ガラスへ手のひらを押し当てる。指の長さも爪の形も、現実の女のものに見えた。

二秒後、窓に湿った手形が浮かび上がった。

現実の女は両腕を組んでいる。指先さえ見えない。それでも手形からは水滴が垂れ、座席の金属枠まで細い筋を作った。指は五本ではなく、六本あった。

隣に座っていた女性は本を読んだままだった。周囲の誰も窓を見ていない。私は席を立とうとしたが、その前に反射の女が立ち上がった。

現実の女は座ったままだった。それなのに、沈んでいた座面がゆっくり元の高さへ戻った。衣服と座席の間に隙間ができ、女の身体だけが数センチ浮いているように見えた。

反射の女は窓の中を歩き始めた。通路ではなく、ガラスに映った座席の上を、他の乗客の身体を通り抜けながら進んでくる。斜めの鉄骨に遮られるたび姿が途切れ、次に現れたときには、こちらへ一席分近づいていた。

私は目を閉じた。二秒より長く閉じていれば、見た動きを身体が追わずに済むような気がした。

膝に重みがかかった。

目を開くと、反射の女が私の膝の上に座っていた。後頭部を私の胸へ預け、髪を顔へ垂らしている。現実には何もいないのに、両脚が痺れ、呼吸をするたび肋骨が内側へ押された。

反射の中で、女の腕が私の腕へ重なった。女が腕を組むと、私の肩から肘までが硬直した。

二秒後、私の両腕が勝手に胸の前で交差した。

力を入れてもほどけない。声を上げようとしたが、反射の私は口を閉じていた。喉は震えるだけで、息しか出なかった。

向かいの現実の女が、ゆっくりと身体を起こした。

髪を耳へ掛け、眠そうに周囲を見回す。座席は再び彼女の重みで沈んだ。ごく普通の顔だった。女は自分の手首を確かめるように撫でると、ちょうど停まった駅で降りていった。

窓の中には残っていた。

私の反射へ重なるように座り、腕を組み、頭を深く垂れている。現実の私は目を開けているのに、反射では長い髪が顔を覆っていた。

ドアが閉まった途端、反射の身体が左へ傾いた。

二秒後、私の首が左へ折れた。頬が肩へ押しつけられ、首筋で骨の擦れる音がした。痛みはあったが、姿勢を戻せなかった。

電車が揺れるたび、反射は先に動いた。私は必ず二秒遅れて同じ姿勢を取らされた。前へ倒れ、肩を震わせ、見えない誰かへ頭を預けた。周囲から見れば、ひどい寝相で眠り込んでいるようにしか見えなかっただろう。

終点で駅員に肩を叩かれたとき、車内には私しかいなかった。どれほど呼ばれても起きなかったらしく、呼吸だけはしているので救急車を呼ぶ直前だったという。

胸には、右肩から左脇腹へ伸びる黒い痣が残っていた。窓の外を横切っていた鉄骨と同じ角度で、皮膚が押し潰されたように窪んでいる。

それ以来、鏡に映る私の動作は二秒早い。鏡を布で覆っても、消したテレビやスマートフォンの黒い画面に姿が映る。私が立っているときでも、反射の中の私は電車の座席に座り、腕を組んで眠っている。

胸の痣は、毎晩少しずつ上へ移動している。昨夜には鎖骨を越え、今朝は首の中央まで達していた。

さっき、黒い画面の中で、眠っていた私だけがゆっくり顔を上げた。

二秒経ったが、私はまだ動いていない。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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