雨の駅前は、夜になると床だけが派手になる。
青い看板の光、閉まりかけた店の橙色、信号の赤。濡れたタイルはそれらを拾って、足元に別の街を敷いたように光っていた。
その晩、終電まで少し時間があったので、私は駅前の屋根の下で雨宿りをしていた。人通りは少なく、濡れた傘を畳む音と、排水口へ水が流れる音だけが続いていた。
黒い傘を差した人が、タイルの真ん中をゆっくり歩いていった。
顔は見えなかった。長い黒い服の裾が濡れて、白い靴だけがやけに浮いて見えた。歩き方に変なところはない。ただ、通り過ぎたあと、タイルに残った水の跡が妙だった。
足跡ではなかった。
その人が踏んだ場所だけ、タイルの目地が少し盛り上がっていた。黒い細い線が、水を吸った糸のように膨らみ、歩幅に合わせて一枚ずつ、床の格子がずれている。
最初は雨のせいだと思った。古い駅前なら、浮いたタイルくらいある。
けれど、黒い傘の人が三歩進むたびに、後ろの目地が一歩ぶん遅れて追いかけた。踏まれた場所が動くのではない。踏まれていない場所まで、次の足を待つように、ほんの少し膨らむ。
やがて、その人は駐車禁止の標識の前で立ち止まった。
雨音だけが強くなった。傘の縁から落ちる水が、白い靴の周りに丸く溜まっていく。そこだけ水たまりが深くなっているのに、靴は沈まない。靴底の下に、床がないみたいだった。
私は目をそらせなかった。
黒い傘の人がもう一歩踏み出した瞬間、青い看板の反射が足元で途切れた。濡れたタイルの上に、白い靴だけが一足分、残った。
人影も傘も、そこにはなかった。
残った靴は物ではなく、乾いた跡だった。雨の中で、そこだけ白く乾いている。しかも、爪先がこちらを向いていた。
私はその場を離れた。駅に入っても、靴底に小石を踏んだような違和感があった。ホームで確認すると、右の靴の裏に、泥でもガムでもないものが付いていた。
小さな正方形のタイルだった。
剥がそうとしても取れない。表面は濡れていて、青い光を反射している。駅前の床と同じ色だった。
その夜から、雨の日だけ、家の玄関のたたきに水が溜まるようになった。外から入った覚えのない水だ。水はいつも、靴一足ぶんの形をしている。
そして今朝、玄関のタイルの目地が、ほんの少しだけ盛り上がっていた。
まだ誰も履いていない靴の歩幅で、部屋の奥へ向かって。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

