説明のつかない痕跡

写真怪談

乗る前の白い息

空港行きのバスを待つだけの夕方、乗り場の係員は、気温では説明できない「白さ」に気づいた。
写真怪談

逆回りのペダル

誰もいない二階の駐輪場で、精算を終えるたび、停められた自転車のペダルが一台ずつ後ろへ回る。車輪は、どれも動いていない。
ウラシリ怪談

二億回の向こう側の椅子

九十四歳の祖母と孫が、十年かけて残してきた何気ない日常。二億回を超えて見られたその映像の片隅で、“まだ会っていない誰か”の椅子だけが、少しずつ近づいていました。
写真怪談

流してから出てください

男子トイレの個室に座ると、真正面に「終わったら流して下さい。」という貼り紙がある。何の変哲もない注意書きだった。裏側に、別の文字が見つかるまでは。
写真怪談

欄干に分かれる人

駅前の歩道橋には、手すり越しにしか見えないものがある――しかも、見るたびに少しずつこちら側へ近づいてくる。
晩酌怪談

鹿肉の勘定

仕事帰りに入った居酒屋で、鹿肉のソーセージをつまみながら瓶ビールを飲んでいた。皿の上には四本あった。それだけは、よく覚えている。
写真怪談

内側に上がる花火

夜空の花火を見上げていた出店の女性。そのころ白いテントでは、誰も見ていない「内側」に、もう一つの花火が上がり始めていた。
写真怪談

水面より上の泥

池の水は増えていない。それなのに、清掃を始めた作業員たちの周囲では、「水際」だけが少しずつ高くなっていきました。
写真怪談

二重ガラスの人影

お盆明けの空港。駐車場から見上げたガラス張りの連絡通路には、歩いている人数とどうしても合わない人影がひとつありました。
写真怪談

笑顔を抜いた手

青空の下、笑顔に加工されたひまわり。抜き取ったはずの種は、いったいどこへ行ったのでしょう。
写真怪談

同行者の重さ

食事を終えた旅行者が立ち上がったとき、さっきまで片手で引いていたキャリーケースは、二人がかりでも床から離れなくなっていました。
ウラシリ怪談

西へ二十キロの片づけ

西へ進む台風の夜、空になった実家では、片づけたものが東の部屋から順番に元の場所へ戻り始めました。
ウラシリ怪談

一世帯に一度の灯り

新しい照明へ替えた老人の家では、毎日午後五時十五分になると、もう捨てたはずの灯りが食卓だけを照らしたそうです。
ウラシリ怪談

海面に戻る人

海の温度を測っていたサメは、毎夕ほんの数秒だけ、「温度のない海面」へ戻ってきたそうです。
ウラシリ怪談

風のない避難所で

風の入らない避難所で、誰も触れていない洗濯ばさみが二度だけ鳴りました。亡くなった祖母には、台風の夜に必ずしていたことがあったそうです。
晩酌怪談

手前だけぼやける

休日の昼、バイスハイボールの向こうで手前の焼きそばだけがどうしても焦点を結ばず、その何気ない「ぶれ」は店を出たあとも消えてくれなかった。
写真怪談

二秒先の寝返り

電車の揺れより二秒早く身体を傾ける、顔を伏せた女。その寝姿を見続けた乗客の日常に、奇妙な「遅れ」が入り込み始める。
写真怪談

家のほうから

帰る家を失った母子が、八月十五日の夕方に嗅いだ懐かしい匂い。帰省とは、本当はどちらが帰ってくることなのでしょう。