一世帯に一度の灯り

ウラシリ怪談

八月の初め、ある町で、省エネ家電を買った世帯に補助金が出ることになったそうです。対象は、エアコンや冷蔵庫、それに照明器具でした。

その町でひとり暮らしをしていた七十代の男性も、娘に勧められて、居間の照明を新しいものへ替えました。古い照明は、結婚した年からずっと使っていたものでした。乳白色の丸い傘がついた、紐を引いて点ける古い灯りです。妻が亡くなってからも替えなかったのは、夕方になると妻がその紐を引き、「もう暗いですよ」と言っていたからだそうです。

もっとも、補助金の説明を読んでみると、購入した製品が実際に自宅へ設置されたことを証明するため、家の外観と、設置後の製品全体がわかる写真を紙に印刷して提出する必要がありました。申請は一世帯につき一回だけです。

娘は新しい照明を取り付けたあと、父親を居間から出して、天井へ向けて写真を一枚撮りました。

その日の夕方です。午後五時十五分ごろ、男性が台所から戻ると、新しい照明は消えていました。ただ、食卓の上だけが明るかったそうです。天井には何も点いていません。窓から西日が差しているわけでもありません。古い照明が吊られていた場所から、丸い光だけが食卓へ落ちていました。以前の乳白色の傘が作っていたのと、ほとんど同じ大きさでした。

男性はしばらくそのまま座っていたといいます。やがて光は薄くなり、日が暮れるころには消えました。

翌日も同じでした。午後五時十五分。新しい照明を点けていても、食卓の一角だけに、色の違う明かりが重なったそうです。その部分だけ、昔の電球のような、少し黄色い光でした。

三日目には、その光の下へ湯呑みを置いてみました。すると、誰も触れていないのに、湯呑みがわずかに食卓の中央へ寄ったといいます。ほんの二センチほどでした。ただ男性は、それ以上確かめようとはしませんでした。妻は夕食のとき、いつも湯呑みを少し中央へ寄せる癖があったそうです。

数日後、娘が補助金の申請書類を揃えに来ました。領収書、保証書、設置を証明する書類。そして、あの日撮影した写真を紙に印刷しました。

印刷された写真には、新しい照明がきちんと写っていました。けれど娘は、しばらくその紙を見たまま動かなかったそうです。天井の照明の下。写真の隅に写り込んだ食卓に、小さな丸い光が落ちていました。

撮影したのは昼間でした。しかも、その写真を撮った時点では、あの異変はまだ一度も起きていませんでした。

娘は父親にそのことを言わなかったそうです。代わりに、もう一度写真を撮り直しました。今度は食卓が入らないよう、天井だけを写しました。それを印刷すると、新しい照明の横に、細いものが一本だけ写っていました。

紐でした。

天井から垂れて、写真の下端まで続いていました。実際の照明には、紐などありません。

娘は三枚目を撮りました。そこにもありました。四枚目にもありました。撮るたび、紐の先端が少しずつ低くなっていたそうです。

最後の一枚では、写真の下端ぎりぎりに、小さな手が写っていました。指先だけでした。紐を引こうとしているようにも見えましたが、誰の手なのかまではわかりませんでした。

娘はその写真を提出しませんでした。最初に撮った、丸い光だけが写っている一枚を申請書類に添えたそうです。

補助制度では、対象経費の半額、原則三万円を上限として補助され、六十五歳以上だけで暮らす世帯がエアコンを購入した場合には上限が五万円になる仕組みでした。また受付は平日の午前八時三十分から午後五時十五分までとされています。

男性の申請は、その後、問題なく受理されたそうです。新しい照明も今では普通に使われています。ただ、娘によれば、父親は夕方になると、自分では照明を点けなくなったといいます。午後五時十五分を過ぎるまで、食卓に座って待つのだそうです。

「誰も点けなかった日は、暗いままでいい」

そう言っていると聞きました。

そして一度だけ。娘が泊まりに来ていた夜、午後五時十五分になる前に、男性がうたた寝をしてしまったことがありました。部屋は暗くなっていました。娘が壁のスイッチへ手を伸ばした、その時です。

天井のどこかで、

……かちり。

古い照明の紐を引いたときの音がしたそうです。

新しい照明は点きませんでした。代わりに、食卓の上だけが、ゆっくり明るくなりました。その光の中には、湯呑みが二つ置かれていたといいます。娘が用意したのは、一つだけでした。

翌朝には、もう一つの湯呑みはありませんでした。ただ食卓には、丸い輪染みが二つ残っていたそうです。片方は父親のもの。もう片方は、それより少し小さく。拭いても消えず、食卓を買い替えた今も、その部分だけ切り取って残してあるといいます。

補助金の申請は、一世帯につき一度だけでした。

あの家で古い灯りが点いたのも、それきりだったのかどうか。男性は、そのことについては何も話していないそうです……そんな話を聞きました。

この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。

省エネ家電購入緊急支援補助金

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物価高騰による家計負担の軽減と温室効果ガス排出量の削減を図るため、家庭用省エネ電化製品の購入費用に対し、予算の範囲内で補助金を交付します。 …

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