香炉に残る重さ

写真怪談

都内のある道教寺廟は、外から見ると普通のビルに近い。中へ入ると空気が変わり、色鮮やかな装飾と金色の神像が階ごとに並び、その前には香炉が置かれている。参拝者は香を手に上階へ進み、香炉を巡りながら、心の中で自分の名、生年月日、住所を告げていく。

そこで受付の手伝いをしていた人から聞いた話だ。神像の前には、写真にあるような黒い大きな香炉があった。彫りの深い柱に囲まれ、金色の神像を背負うように据えられていて、近くを通ると焚かれた香の匂いが衣服に残った。

異変が見つかったのは、床の補修をすることになった時だった。香炉の右奥の脚の下だけ、石張りの床がわずかに沈んでいたのである。布で拭くときに雑巾が引っかかる程度だったが、定規を当てると確かに窪んでいた。

重い香炉なのだから、それ自体はおかしくない。ところが四本ある脚のうち、沈んでいるのは一本だけだった。石工が周囲を叩いて調べても浮きも空洞もなく、下地に水が回った形跡もないという。

補修のため、いったん香炉を横へずらすことになった。中の灰をすべて取り、燃え残った香も片づけた。それでも持ち上げる作業は妙に難航した。

小型の油圧器具を脚の下へ入れると、金属が低く軋んだ。香炉は数ミリ浮いたところで動かなくなり、器具の方が床へ食い込むように傾いたという。作業員は何度も位置を変え、最後は人数を増やして、どうにか隣へ移した。

黒い香炉がなくなると、そこだけ床の色が明るかった。四本の脚の跡が四角く残っており、問題の一か所だけ、指の第一関節ほど深く沈んでいる。石工はその周囲に印を付け、翌日削ることにした。

翌朝、受付を開けた人が、すぐ石工を呼んだ。

窪みが深くなっていた。

香炉は昨夜から三十センチほど離れた場所に置かれたままだった。窪みの上には何も載っていない。それなのに石の中央がさらに沈み、前日に引いた鉛筆の線が斜めに折れていた。荷重で沈んだのなら、荷物を除いたあとに深くなる理由がない。

さらに妙なのは、移動先の床にも薄いへこみができ始めていたことだった。古い場所と新しい場所、その両方が沈んでいた。

石工はさすがに作業を止めた。下地を調べるには石板を一度外す必要がある。だが廟は参拝者を迎えているため、すぐには大がかりな工事ができず、とりあえず古い窪みには厚い板を敷き、人が踏まないよう囲いを置いた。

その日も参拝は続いた。香を手にした人々が神像の前に立ち、黙って頭を下げる。名、生年月日、住所。それぞれが胸の内で自分を告げ、香を立て、次の階へ進んでいく。

受付の手伝いをしていた人は、その日の午後から足がおかしいことに気づいたという。古い香炉跡のそばを通ると、足首から下だけ急に重くなる。粘着質な床を踏んだような感じではなく、靴の中へ鉛を流し込まれたような重さだった。

囲いの外へ一歩出れば消える。戻ればまた重くなる。試しに箒を横たえてみても何も起こらないし、小銭を置いても転がらない。人が立った時だけ、膝が下へ引かれた。

閉門後、二人で確認した。片方が窪みのそばへ入り、もう片方が外から腕を引く。境目を越えた瞬間、引く側は思わず手を放したという。

中に立っている人間が、突然ひどく重くなった。

体格が変わったわけではない。腕を掴んだ感触も普通だった。それなのに、一歩こちらへ引き出そうとすると、床の下から身体ごと掴まれているように動かなかった。本人にはただ、足の裏に強い圧迫感があっただけらしい。

二人はそれ以上試さなかった。その晩、板の上に誰も入れないよう椅子を置き、帰った。

翌朝、椅子はそのままだった。

ただ、板が沈んでいた。

厚い合板の中央がゆるく湾曲し、石の窪みに沿って下へたわんでいる。椅子の脚は四隅にあり、そこには荷重の跡がない。何も触れていない中央部分だけが、上から巨大なものを載せたように押し下げられていた。

さすがに廟側も、その場所を閉鎖した。石板を外し、下を掘って確認したが、地盤も配管も正常だった。空洞もない。建物そのものに傾きもなかったという。

念のため、穴の上に厚い鋼板を渡した。香炉は離れた位置に置いたまま、その夜は鋼板の上を空にした。工具ひとつ残さず、周囲も立入禁止にした。

翌朝、鋼板の中央が曲がっていた。

人が乗ったくらいではそうならない厚さだった。端は水平なのに、中央だけが深く下へ引かれ、まるで見えない柱を一本載せて一晩放置したような形になっていた。

それを見た古い管理人が、ようやく口を開いたという。

「香炉を戻しましょう」

理由は言わなかった。神様の話もしなかった。ただ、元の位置を測り、黒い香炉を最初にあった場所へ戻させた。四本の脚を以前の跡に合わせ、向きまで同じにした。

その日から、床は沈まなくなった。

移動先にできかけていた窪みも、それ以上深くならなかった。人が元の場所を通っても足は重くならず、香炉は以前と変わらず、神像の前で香の煙を受け続けている。

曲がった鋼板だけは処分されなかった。作業に関わった人たちが、原因を説明できないまま捨てるのを嫌がったからだという。現在も物置の壁に立てかけてあるそうだ。

奇妙なのは、その板の形だった。

中央には、香炉の脚の跡がない。工具の跡も、人の足跡もない。ただ何も載っていなかった場所が、滑らかな曲面になって下へ沈んでいる。

受付を手伝っていた人は、それ以来、参拝者が香炉の前で静かに頭を下げる姿を見ると、ときどき思うという。

人はそこで、自分の名前と、生まれた日と、帰る住所を告げる。

ならば、あの場所でずっと重かったものは、いったい何を名乗っていたのだろう、と。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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