雨の日だけ乾く床

写真怪談

強い雨の夕方、前扉の床に細い乾いた帯が一本残っていた。

傘から落ちた水と乗客の靴で、車内の前方はほとんど濡れている。運賃箱の脇も、オレンジ色の手すりの根元も、黒い床材が鈍く光っていた。それなのに乗降口の内側から十センチほどだけ、幅の狭い帯が完全に乾いていた。

暖房の風でも当たっているのだろうと、その日は誰も気にしなかった。終点に着いた運転士がモップを掛けると、乾いていた部分も一度は濡れた。だが車内を一周して戻ってくるころには、そこだけまた乾いていた。

乾き方が妙だった。

濡れた床なら、普通は輪郭の外側から少しずつ水気がなくなる。ところがその帯は、境目が刃物で切ったようにはっきりしていた。濡れているところと乾いているところが、一本の線を境に突然切り替わっている。

翌日は晴れた。床に変わったところはなかった。

三日後、朝から雨が降った。夕方には同じ帯が現れた。ただし前回より長かった。乗降口から始まり、運賃箱の手前まで、およそ四十センチ伸びていた。

営業所へ戻ったあと、整備担当が表面温度を測った。周囲の床より、帯の部分だけ七度ほど高かったという。エンジンや配管の熱を疑ったが、その位置の床下には熱源になるものがなかった。

電源を切り、車体が冷えるまで待った。それでも温度差は消えなかった。

深夜になって周囲の床が冷えていく中、その細い部分だけが三十度前後を保っていた。手のひらを当てると、熱いというより、人がしばらく座っていた椅子に触れた時のような生ぬるさだった。

翌朝には冷えていた。

床材を剥がすほどの異常ではないという判断になり、その車両はそのまま運行へ戻された。雨の日だけ注意して見ることになったが、しばらく小雨が続いた程度では何も起こらなかった。

まとまった雨が降った夜、帯は運賃箱まで届いた。

乗降口から真っ直ぐ伸びてきた跡は、機械の台座へ突き当たる直前で緩く曲がっていた。台座の下を通るのではなく、人がそこを避けて歩く時と同じように、横へ回り込んでいた。

幅は十一センチほどだった。

担当者は油性ペンで帯の先端に小さな印をつけた。次の停留所で乗客が降りたあと確認すると、先端は印を越えていた。三センチほど、運転席側へ伸びている。

その後、二つの停留所では変化がなかった。

三つ目の停留所で前扉が開いた。降りる客はいなかった。乗ってくる者もいない。雨だけが開いた扉の向こうで白く降っていた。

扉を閉めてから見ると、帯はさらに六センチ伸びていた。

運転士は営業所へ無線を入れた。車両に走行上の異常はなかったため、そのまま回送で戻るよう指示された。ただし前扉は開けないように言われた。

回送中、帯は動かなかった。

営業所へ着き、整備棟の中で前扉を開けた。雨は建物の屋根に遮られていた。それでも数分後、乾いた部分は二センチほど先へ進んだ。

そこで初めて、雨そのものが原因ではないのかもしれないという話になった。

翌日、前方の床材を外した。表面には焼け焦げも変色もなく、配線にも異常はない。ところが床材を裏返すと、乾いた帯とまったく同じ位置に白っぽい筋が通っていた。

表面だけではなかった。

厚さ数ミリの黒い床材の内部まで、その部分だけ水分を失ったように硬くなっていた。指で曲げると周囲は柔らかくしなるのに、白い筋の部分だけ乾いた板のような抵抗があった。

さらに妙なのは、その筋が表側の乾いた帯より長かったことだった。

表面では運賃箱を回り込み、運転席との境にある仕切りの手前で終わっていた。裏側の白い筋は、そこからさらに十五センチほど先へ伸びていた。

仕切りの下を越えて、運転席側へ向かっていた。

床材は交換された。古いものは原因調査のため処分せず、整備棟の棚へ平らに置かれた。車両にも数日間の点検が行われたが、空調、電装、床下機器のどこにも異常は見つからなかった。

新しい床で運行を再開してから、しばらく雨は降らなかった。

十日ほどして、夜から激しい雨になった。

営業所へ戻った運転士は、まず乗降口を見た。新しい床は濡れていた。以前のような乾いた帯はない。運賃箱の周囲にも何もなかった。

整備担当も確認し、現象は古い床材そのものに原因があったのだろうという話になった。

運転士が席を立った時だった。

運転席の足元に、細い乾いた筋があった。

乗客側から続いているものではない。仕切りを挟んだ向こう側から突然始まり、ペダルの手前まで二十センチほど伸びていた。

表面温度は三十一度。

周囲より八度高かった。

その車両は再び運行から外された。

翌朝、整備棟の棚に保管していた古い床材を確認すると、裏側の白い筋が前日より伸びていた。十五センチだったはずの先端が、切断された床材の端まで達していた。

端から先には、もう床材がない。

それでも床材を置いていた棚の金属板に、続きが残っていた。

細く白く曇った跡が、棚の奥へ十一センチ伸びていたという。薬品で拭いても、研磨剤を使っても完全には消えなかった。

その車両で何が移動していたのかは分かっていない。

ただ、それ以来、その営業所では強い雨の日だけ、出庫前に前扉付近の床へ少量の水を撒くことがある。

水漏れを調べるためではない。

全部が同じ速さで乾くかを見るためだ。

今も整備棟の棚には、白い筋の残った金属板がある。

筋の先端は、床材を保管していた位置から少し離れたところで止まっている。

そのすぐ先には、整備員が作業中に使う椅子が置かれている。

そして去年の梅雨から、その椅子だけは雨の日になると、誰も座っていないのに座面がわずかに温かいという。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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