明日の受取印

写真怪談

機種変更のために注文したスマートフォンが届いたのは、十一月の初めだった。

仕事から帰った男性は、机の上に配送書類と設定用の説明書を広げた。緑色の見出しが入った資料の上には、透明な緩衝材に包まれた黒いスマートフォンがある。古い端末からデータを移し、通信回線を切り替えるだけの作業だったが、手順を間違えるのが嫌で、同封されていた書類には一通り目を通すことにした。

配送伝票の日付が翌日になっていた。

印字された数字を見直したが、間違いない。実際には今日届いている荷物なのに、配達完了日だけが明日になっていた。配送業者の入力ミスだろうと思い、男性は伝票を脇へ寄せた。

緩衝材を外し、新しいスマートフォンを取り出した。黒い画面には指紋ひとつなく、側面にも傷はない。電源を入れると初期設定の画面が現れ、言語と地域を選ぶよう案内された。

ところが、日付の設定画面で手が止まった。

表示されている年月日は、配送伝票に印字されていたものと同じだった。つまり、現実の日付より一日進んでいる。

時刻は正確だった。古いスマートフォンと見比べても、分単位で一致している。ずれているのは日付だけだった。

通信に接続すれば自動修正されるだろうと考え、男性は設定を進めた。だが、自宅の無線LANにつないでも日付は変わらない。手動で正しい日付に直しても、画面を閉じて開き直すと、再び翌日になっていた。

気味は悪かったが、初期不良の可能性もある。男性は一度電源を切り、メーカーのサポートへ問い合わせることにした。

翌朝、机の上を片づけていると、前夜にはなかったものが見つかった。

配送書類の一番下に、薄い紙が一枚挟まっていた。新しい端末の製造番号や契約内容を記載した控えで、右下に小さな受領確認欄が設けられている。

そこに男性の署名があった。

自分の名前だった。普段、宅配便の受け取りや職場の書類に書く時と同じ、少し崩した筆跡である。最後の一文字を右上へ跳ね上げる癖まで一致していた。

しかし、前日に署名した覚えはない。そもそも配送業者からサインを求められていなかったし、この控え自体、初めて見たものだった。

しかも署名の横には、今日の日付が入っていた。

男性は書類を並べ直した。配送伝票には昨日確認した日付があり、受領確認欄には今日の日付がある。どちらもそれぞれの書類が扱われる前に、未来の日付で作成されていたことになる。

試しに、受領確認欄のすぐ下へ赤いボールペンで一本線を引いた。誰かが書類を差し替えたなら、この線で分かる。紙を透明なファイルへ入れ、机の引き出しにしまった。

その日の午後、サポート窓口から折り返しの連絡があった。

製造番号を伝えると、担当者は少し困った様子だったという。該当する端末は確かに登録されているが、出荷処理がまだ完了していないらしい。

「その端末は、もうお手元にあるんですよね」

男性がそうだと答えると、担当者は何度か確認を繰り返した。システム上の出荷予定日は翌日で、配送完了の記録は存在していなかった。製造番号に間違いはなく、別の商品と取り違えた可能性も低いという。

最終的にはシステム側の不具合として調査することになった。

男性は電話を切り、引き出しから書類を取り出した。

赤い線は残っていた。

しかし、その上にあった署名の日付が変わっていた。昨日の夜、確かに今日の日付になっていた部分が、また翌日になっている。

インクは乾いていた。紙の表面を指で擦っても文字は滲まない。裏側から光に透かしてみたが、書き換えた跡もなかった。

それより奇妙なのは署名そのものだった。

前日に確認したものより、最後の一文字がわずかに右へ伸びている。男性は自分が書類へ署名する時、急いでいると最後の払いが長くなる癖を持っていた。

それは、仕事で何枚も書類を書かされた時に出る癖だった。

翌日、男性は端末を購入した店舗へ行った。

スマートフォンと配送書類を持参し、事情を説明した。店員は端末の電源を入れ、設定画面を確認したが、その時には日付が正常に戻っていた。製造番号にも問題はなく、通信回線の切り替えもできる状態だった。

ただ、店員が配送伝票を確認した時、一度だけ妙な顔をした。

「これ、明日の日付ですね」

男性は頷いた。何度も説明しているので、もう驚かなかった。

店員は端末を確認し直し、しばらくしてから返却した。配送処理の記録に不整合があるものの、端末そのものに故障は認められない。記録を修正するので、数日様子を見てほしいということだった。

男性はそのまま帰宅した。

夜、机に書類を広げ直すと、受領確認欄には新しい日付が書かれていた。

また翌日だった。

しかも、署名の下にもう一行増えていた。

《確認者本人》

印刷ではなかった。細い黒のボールペンで、男性の筆跡によって書き足されていた。

その夜から、男性は書類を捨てることにした。配送伝票も控えも、不要な部分は裁断してごみ袋へ入れた。緩衝材も一緒に処分し、新しいスマートフォンだけを残した。これ以上、妙な日付に振り回されたくなかった。

翌朝、机の上には配送書類が戻っていた。

緑色の見出しが入った説明書。その下に重なる白い紙。さらに、その上には透明な緩衝材で包まれた黒いスマートフォンが載っていた。

最初に荷物を受け取った時と、まったく同じ配置だった。

前夜に捨てた緩衝材も、元の形に戻っている。男性は慌ててごみ袋を確かめた。袋は口を縛ったまま台所に置かれており、中には細かく裁断された書類と、透明な緩衝材の切れ端が残っていた。

同じものが二組存在していた。

ただし、机の上のスマートフォンは新品ではなかった。黒い画面の右下に、細い傷が一本入っていた。前日、店舗へ持参した時にはなかった傷だった。

男性は端末に触れず、書類だけを取り上げた。

受領確認欄には、また翌日の日付が入っていた。署名もあった。だが今度は、文字が大きく乱れていた。

最後の一文字が右下へ長く引きずられ、欄外まで伸びている。まるで、ペンを持った手が途中で強く引っ張られたような線だった。

男性はそこで、ひとつのことを思い出した。

前日、店舗で書類に署名を求められた時、途中でボールペンが引っかかったのだ。紙の下に小さな異物があったらしく、最後の一文字を書いた瞬間、ペン先が右へ滑った。

店員が笑いながら紙を押さえてくれたので、書き直すことはなかった。

その時の署名と、いま目の前にあるものは、同じだった。

しかし、男性が昨日店舗で署名した書類は、店に残してきたはずだった。

そこから先のことを、男性はあまり詳しく話したがらない。

ただ、新しいスマートフォンは結局使わなかったという。端末を初期化して電源を切り、箱へ戻した。通信回線の切り替えも取り消し、以前のスマートフォンをそのまま使い続けることにした。

それで異変は収まったように見えた。

数日後、購入店から連絡があった。

配送記録の調査が終わり、端末の引き渡し日が正式に修正されたという。ただし、もうひとつ確認してほしいことがあるらしかった。

回収手続きの記録が、先に登録されているというのである。

男性は返送の申し込みをしていなかった。店員もそれを確認していた。それなのに、システム上では端末がすでに回収済みになっていた。

回収日は翌日だった。

男性は箱にしまったスマートフォンを取り出し、電源を入れた。画面には初期設定の案内が表示された。日付も時刻も正常で、以前のような異常は起きなかった。

安心しかけたところで、透明な緩衝材の下から紙が一枚出てきた。

それは返送受付の控えだった。

右上には翌日の日付が印字され、下部には受領確認欄がある。男性は震える手で紙を広げた。

署名は自分の筆跡だった。

ただし、最後の一文字は途中で途切れていた。そこから先には黒いインクがなく、代わりに紙そのものが細く裂けていた。

裂け目は、右下へ向かって伸びていた。

男性は書類を放り出し、すぐに箱を閉じた。

その夜、玄関の呼び鈴が鳴った。

時計は午前零時を少し過ぎたところだった。こんな時刻に配達が来るはずもない。インターホンの画面には、誰も映っていなかった。

それでも玄関の外から、紙をめくるような音がした。

一枚、二枚。

そのあと、硬いものが床へ落ちる乾いた音が聞こえた。

男性は朝まで玄関を開けなかった。

翌朝、ドアの下に薄い紙が一枚差し込まれていた。

配送会社の回収完了通知だった。

日付は、今日になっている。

回収した品物の欄には、新しいスマートフォンの製造番号が記載されていた。その番号は、机の上の箱に入っている端末と一致していた。

ところが、男性がもう一度箱を開けると、中は空だった。

黒いスマートフォンだけが消えていた。

説明書も緩衝材も残っていた。箱の底には、端末を置いていた四角い跡が薄く付いていたが、それ以外に異常はない。

男性はその日、購入店へ電話をかけ、端末が回収されたことを確認した。店員は記録を調べ、確かに回収処理が完了していると答えたという。

結局、男性の手元に新しいスマートフォンが戻ることはなかった。

それから数か月が経っている。

男性はいまも古いスマートフォンを使っている。機種変更をやり直すつもりはないらしい。あの出来事のあと、配送で電子機器を受け取ること自体、避けるようになったという。

ただ、一枚だけ捨てられない書類が残っている。

あの日、玄関の下に差し込まれていた回収完了通知である。

紙には、端末の製造番号と回収日、そして本人の署名が残っている。最後の一文字は途中で途切れ、紙の端へ向かって細い裂け目が伸びている。

男性がどうしても処分できないのは、その裂け目のせいだという。

裂けた部分の裏側に、もうひとつ署名があるからだ。

表側とは違う筆跡だった。

名前は同じだった。

そして、その横に記された受取日は、まだ来ていない。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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