春から自転車の取り締まりが厳しくなってから、夜の繁華街ではパトカーの赤色灯を見るたび、誰かがまた止められているのだと思うようになった。
あの夜もそうだった。歩道ぎわに寄せられた自転車の横で、若い男が警官二人に囲まれていた。ながら運転か、無灯火か、その程度だろうと皆が横目で通り過ぎていたが、一人だけ様子のおかしい警官がいた。年配のほうが男の顔ではなく、ずっとサドルの後ろの空間を見ていたのだ。荷台も子乗せもないのに、誰かを立たせるみたいに。
男は何度も頭を下げて、春から厳しくなったのは知ってます、今日は本当に急いでいただけです、と言っていた。若い警官は頷きながら紙の束をめくり、違反の項目を指で追っていたが、赤色灯が一周するたび、そこだけ赤く浮く文字があった。二人乗り。
見間違いだと思った。自転車に乗っていたのは、どう見てもその男一人だったからだ。
それでも年配の警官は、ときどき男の肩越しではなく、その少し後ろへ向かってうなずいていた。返事でも待っているみたいに。
やがて若い警官が副票を切り、署名欄を差し出した。男がボールペンを受け取って名前を書く。そこで妙なことが起きた。男の手首が止まっているのに、紙の下のカーボンだけがもう一度沈んだのだ。誰かが同じ欄に、重ねて筆圧をかけたみたいに。
男は青ざめて、自分、一人です、と小さく言った。
年配の警官は首を傾げただけで、では後ろの方のお名前はけっこうです、と静かに答えた。
その声は別に大きくもないのに、歩道にいた何人かが同時に振り返った。けれど振り返った先には、男の背後の夜気と、パトカーの白い屋根しかなかった。
私はそのとき、助手席側の窓に映るものを見てしまった。赤色灯の反射の中で、男の肩からもう一本、細い首が斜めに伸びていた。顔まではわからない。ただ、覗き込む角度だけが、人間のものに見えなかった。次の点滅でそれは消えた。
書類が終わると、警官たちは男を帰した。男は何度も後ろを振り返りながら自転車にまたがり、青信号で車道へ出た。けれど走り出した瞬間、後輪がわずかに沈んだ。見えない重みがサドルの後ろへ乗ったみたいに、自転車が一度だけ低く鳴いた。
パトカーが去ったあと、縁石のそばに薄い紙片が落ちているのに気づいた。さっきの副票の写しだった。雨気で少し波打っていたが、違反項目だけは読めた。無灯火でも、信号無視でもない。二人乗り、とはっきり印字され、その下の署名欄には、インクの名前が一つ、その少し下に、文字になりきらない浅い凹みが並んでいた。
持ち帰って机の上に置くと、翌朝にはその凹みが昨夜より深くなっていた。光を斜めに当てると、インクの名前のすぐ後ろに、もう一つ、途中まで書きかけの苗字だけが読める。
読むたびに最初の字が違って見えるのに、最後の一画だけは毎回同じで、ひどく小さく、ひとの背中にしがみつく指みたいに曲がっている。
それ以来、夜の取り締まりを見かけると、私はまず警官の視線を見るようになった。
止めた相手を見ているのか、その少し後ろを見ているのか。
春から厳しくなったのは、交通ルールだけではない気がしている。
この街ではもう、ときどき一人分多い違反を取っている。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

