雨の夕方、都心の商業地では、透明なビニール傘が目立つ。広い通りの両側には看板や店の明かりが並び、濡れた路面には赤や青の光が長く伸びていた。雨脚が強くなると歩く人の間隔は狭まり、傘同士が触れそうになりながら、黒い路面を埋めていく。
その通りに面したビルで、設備と清掃を兼ねて働いていた作業員がいる。雨の日の仕事で面倒なのは、入口に残される傘だった。客が取り違えたもの、壊れて置いていかれたもの、持ち主が戻らないまま閉店時間を迎えるもの。特に安い透明傘は見分けがつかず、翌朝まで保管することも珍しくなかったという。
その夜も、閉店前に一本の透明傘が残っていた。骨は折れておらず、持ち手にも傷はない。まだ水滴が残っていたので、作業員は傘を開き、バックヤードで乾かすことにした。
そこで、内側に白いものが付いているのを見つけた。
傘の中心から縁へ向かって、幅二センチほどの細い帯が伸びていた。泥の跳ね返りにしては高すぎる場所だったし、雨水の跡にしては白すぎた。濡れた路面に引かれている車線の白線を、細く切り取って貼り付けたように見えたという。
布で拭くと、ざらざらした粉が落ちた。ただし付着していたのは雨を受ける外側ではなく、人の頭が入る内側だった。外側のビニールには傷も汚れもない。傘を閉じた時に何かが擦れたのだろうと考え、その日はそれ以上気にしなかった。
翌朝、保管場所には三本の透明傘があった。
前夜に確認した一本とは別の二本にも、同じような白い筋が付いていた。位置はそれぞれ違っていたが、どれも内側だけだった。一方は傘の中心近くから斜めに伸び、もう一方は縁に近いところで短く途切れていた。
作業員は洗剤をつけた布で三本とも拭いた。白い粉は落ちたものの、完全には消えず、光に透かすとうっすら曇った筋が残った。ビニールそのものが傷んだようにも見えたため、三本を処分予定の傘置き場へ移した。
その日の昼、道路の清掃に来ていた作業員が、ビルの前でしゃがみ込んでいた。昨夜から続いた雨で白線の一部が汚れており、状態を確認していたらしい。何気なく覗くと、車道中央の白い塗装に、細長く表面が剥がれた部分がいくつかあった。
傘についていた白い筋が頭に浮かんだ。
もちろん、それだけなら偶然で済んだという。車道の塗装は車のタイヤでも削れるし、雨や工事で傷むこともある。ところが、処分する前に傘の粉を透明な袋へ入れていた作業員が、その袋を道路の担当者に見せると、相手は少し妙な顔をした。
路面標示の塗料には、夜間に光を返すための細かな透明粒が混ぜられている。袋の粉にも、それに似た小さな粒が混じっていたからだった。
正式な検査をしたわけではない。道路の塗料と同じものだと断定されたわけでもなかった。ただ、傘の内側にそんな粉が付着する理由については、誰にも説明できなかった。
次の雨は四日後だった。
夕方から急に降り始め、通りは前回より混雑した。透明傘が何十本も流れていくのを入口から見ていた作業員は、途中から、人の顔より傘の内側ばかり見るようになっていたという。
最初の一時間は何もなかった。
午後六時を過ぎた頃、道路を横切ってきた会社員らしい人の傘に、白い筋があった。中心から縁へ、一本だけ伸びている。続いて若い女性の傘にも見えた。さらに、家族連れの持つ透明傘にもあった。
どれも同じ形ではない。ただ、白かった。
作業員は休憩に入る同僚へ頼み、一度だけ通りの向こう側まで一緒に歩いてもらった。同僚には、その日の昼にコンビニで買ったばかりの透明傘を使ってもらった。内側に汚れがないことを二人で確認してから外へ出た。
往復して戻ってきた時にも、傘は普通だった。
ところが傘立てへ入れようとして閉じた瞬間、作業員は手を止めた。一本の骨に沿って、白い粉が細く付いていた。今度も内側だった。
同僚は地面へ傘を置いていない。壁にも触れていない。歩いている間、他人の傘ともぶつからなかったという。外側には泥も白い粉も付いていなかった。
二人はもう一度、通りへ出た。
ビルの前から少し離れたところで、白線を踏んで横切る人の流れを見ていた。その時だったという。
透明傘を差した一人の人が、車道中央の白線を越えた。
足が線の上へ乗った瞬間ではない。
傘の中心が、白線の真上を通った時だった。
濡れた路面の白い塗装が一瞬だけ暗くなり、その人の傘の内側に、細い白い筋が浮いた。
作業員はそう見えたと言っている。同僚には、その瞬間は見えなかった。ただ、少し先を歩いていたその人の透明傘には、それまでなかった白い筋が残っていた。
二人とも追いかけなかった。
翌朝、道路の白線には新しい剥がれができていた。爪で引っかいたような細い欠けだったが、前日に傷んでいた場所とは離れていた。ビルの傘置き場には、持ち主の戻らなかった透明傘が七本残っていた。
五本の内側に白い筋があった。
道路管理側には報告しなかったそうだ。何を報告すればいいのか分からなかったからだという。代わりに、一本だけ捨てずに保管した。白い粉を完全に拭き取り、乾燥させてから黒いビニール袋へ入れ、地下の倉庫に置いた。
その後、通りの白線は通常の補修工事で塗り直された。
新しい塗装になってからしばらくは何も起きなかった。雨の日にも傘の内側を確認したが、白い筋は見つからない。作業員自身も、あれは古い塗料が何らかの理由で飛散しただけだったのかもしれないと思うようになった。
二か月ほど経った頃、倉庫の整理で黒い袋を開けた。
中の透明傘は乾いていた。カビもなく、ビニールも濁っていない。
ただ、拭き取ったはずの場所に白い線が戻っていた。
以前より太くなっていたという。
作業員は傘を開いたまま床へ置き、しばらく眺めていた。白い線は中心から縁へ真っ直ぐ伸びていた。その角度に合わせて傘の向きを変えると、偶然なのか、地下倉庫の通路とほぼ一直線になった。
その先は、階段を上がれば正面玄関だった。
さらにその先には、車道がある。
作業員は傘をもう拭かなかった。黒い袋へ戻し、口を縛った。それ以来、倉庫の奥に置いたままになっているという。
現在、通りの白線には目立った欠けはない。
雨の日になれば、写真のように大勢の人が傘を差して歩く。透明傘も珍しくない。作業員は今でも入口に立つことがあるが、以前のように一つ一つ確かめることはしなくなった。
ただ、車道を渡ってきた人の透明傘に白い筋が見えても、傘の外側なのか内側なのかだけは見ないようにしている。
一度だけ、確かめてしまったことがあるからだ。
その傘には白い線が二本あった。
一本は傘の中心から縁へ伸びていた。
もう一本は、その途中から下へ折れ、傘を握っていた人の肩のほうへ続いていたという。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

