逆回りのペダル

写真怪談

都内西部の、繁華街の端にある有料駐輪場の話だ。駐車場の二階部分が駐輪場になっており、自転車は歩行者用階段の中央に設けられた細いスロープを使って上げる。入庫と精算は端末で済ませるため、夜遅くなると人の姿はほとんどない。

二階は天井が低く、太い柱が等間隔に並んでいる。照明そのものは明るいが、奥へ行くほど自転車のハンドルや籠が重なり、誰もいない割に妙に混み合っているように見える場所だった。

近くの飲食店で働いていた男性が、しばらくそこを利用していた。仕事が終わるのは、たいてい日付が変わる少し前だった。二階へ上がるころには利用者もまばらで、聞こえるのは靴音と、自転車のタイヤが床を擦る音くらいだったという。

ある夜、精算を済ませ、自分の自転車を出口へ押し始めた。数メートル進んだところで、右足の脛に何かが触れた。ペダルだった。歩いているうちに足が当たったのだと思ったが、立ち止まって見ると、右側のペダルがゆっくり後ろへ回っていた。

半回転ほどして止まった。

男性は後輪を見た。タイヤは動いていない。自転車そのものも止まっている。それなのにチェーンだけがわずかに動き、ペダルが後ろへ下がったように見えた。

そのとき、左側の列から「カチ」と小さな音がした。自転車のチェーンが動く音だった。続いて少し奥からもう一度、そのさらに奥からも同じ音がした。一定の間隔を置きながら、音は一台ずつこちらへ近づいてきた。

停められた自転車のうち、一台のペダルがゆっくり後ろ向きに半回転した。隣の自転車も動いた。その隣も続いた。車輪はどれも止まっており、ハンドルも揺れない。スタンドを立てたまま、ペダルだけが一台ずつ後ろへ回っていた。

まるで、見えない誰かが順番に足を掛けているようだった。

男性は自転車を押して通路へ向かった。中央のスロープへ前輪を入れ、そのまま一階まで降りた。途中で一度だけ振り返ったが、二階の入口には誰もいなかった。ただ、天井の向こうから「カチ、カチ」と小さな音だけが続いていたという。

それからしばらく、男性は別の駐輪場を使った。ところが同じころ、施設の管理側にも似た問い合わせが何件か入っていたらしい。「停めたときとペダルの位置が違う」「自転車を出そうとしたら、勝手にペダルが足へ当たった」「誰もいない奥でチェーンの音がする」。設備には、自転車のペダルやチェーンを動かすような機構はない。床の振動も調べられたが、下を車が通った程度でクランクが半回転するとは考えにくかった。

管理側は確認のため、安い中古自転車を三台用意した。利用者の自転車には触れず、空いている場所へ三台を並べ、それぞれペダルの位置を変えてクランクとフレームに白い印を付けた。さらに一台だけ、ペダルが回らないよう封印した。ペダルの金属部分とフレームを細い樹脂製の封印帯で結び、一度締めれば切らない限り外せない状態にした。

翌朝、三台ともペダルの位置が変わっていた。すべて、後ろへ半回転していた。白い印も、そのぶんずれていた。

問題は、封印した一台だった。

封印帯は切れていなかった。留め具も壊れていない。それなのにペダルは、やはり半回転していた。封印帯を付けた状態ではその位置まで回すことはできず、途中でフレームに引っ掛かって必ず帯が切れるはずだった。

しかも、前日にペダルとフレームの間を通していた封印帯の輪が、フレームの反対側へ移っていた。切断した跡も、つなぎ直した跡もなかったという。

その夜、管理側の作業員が一人、二階に残った。三台の試験用自転車を前日と同じ場所に置き、今度は封印を二重にしたうえで、少し離れた柱の脇から見ていた。午前一時を過ぎても何も起きなかったが、一時半ごろ、一人の利用者が自転車を取りに来た。

端末の操作音が響き、利用者は精算を終えて自転車を押し、階段へ向かった。その人物が下り始めた直後、奥で「カチ」と鳴った。試験用自転車の一台目のペダルが後ろへ回った。続いて二台目、三台目。そのあと、周囲に停められた利用者の自転車へ音が移っていった。

一台ずつ、奥から出口の方向へ。どの自転車も半回転だけして止まった。

やがて音が、封印した試験用自転車まで来た。作業員は、その瞬間を見ていたという。張っていた封印帯が、ふっと緩んだ。切れたのではない。透明な樹脂の一部がペダルの金属にゆっくり沈み込み、そのまま向こう側へ抜けた。

ペダルが後ろへ半回転した。封印帯は何事もなかったように再び張った。

作業員はそこで確認をやめた。翌朝、三本の封印帯は切断され、試験用自転車は撤去された。深夜の設備点検も、それ以降は複数人で行うようになったという。

ただ、あの夜に現場に残っていた作業員は、切った封印帯を一本だけ捨てなかった。何かの証拠になるかもしれないと思い、管理番号が分かる状態で透明な袋に入れ、事務所の引き出しにしまっていた。

数か月後、久しぶりに袋を出すと、帯の形が変わっていた。輪の途中が平らに潰れ、樹脂の内部に細長い空洞ができていた。熱で溶けた跡でも、切れた跡でもない。まるで細い金属片が、樹脂の内部だけを通り抜けたような形だった。

その幅と厚みは、あの夜に見たペダルの金属部分とほとんど同じだったという。

その封印帯は、処分されたとは聞いていない。駐輪場も今まで通り使われている。ただ、深夜に自転車を取りに来る利用者の中には、精算を終えたあと、すぐには歩き出さない人がいるらしい。

自分のペダルの位置を、一度確かめるためだ。

そして階段を下り始めたあと、二階から小さな音が聞こえても、振り返らない。

カチ。

残された自転車のどれかが、ほんの半回転ぶんだけ、後ろへ漕いでいる。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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