頭上を走る車道

写真怪談

都心の大きな駅で、バス乗り場に面した出口の改修が続いていた頃の話だ。
出口の左側にはエスカレーターがあり、その底面と側面には鏡面のパネルが張られていた。
真下を歩く人間を見上げると、頭上の黒い面に、その人の頭や肩が俯瞰で映る。立っている本人と、上から見た本人が同時に視界へ入るので、慣れていない人には少し奇妙に見える場所だったという。

駅前では高架部分の工事も続いていた。
昼間は足場の向こうから金属を叩く音が聞こえ、出口の前にはバスが次々と入ってくる。
利用者が多いぶん、設備担当者が鏡面を拭く回数も多かった。

ある昼、その清掃をしていた作業員が、鏡の中に白い線を見つけた。
傷ではなかった。
幅は十センチほどあり、鏡面の端から斜めに伸びていた。白い塗料で引かれた道路の区画線によく似ている。

ただし、鏡そのものに線が描かれているわけではない。
布で拭いても、指でなぞっても、表面には何も触れなかった。
反射の中にだけ、白線があった。

作業員は真下の床を見た。石張りの床には白い線などない。
柱にも天井にも、それらしいものはなく、角度を変えて見ても線は同じ場所に残っていた。
翌朝には消えていたため、工事現場の何かが一時的に映り込んだのだろうということになった。

三日後、同じ線が現れた。
今度は一本ではなく、平行するもう一本の線と、そのあいだに短い破線まで見えた。
どう見ても車道だった。

しかも妙なのは、人がその下を通る時だった。
鏡には当然、通行人の頭頂部や肩が映る。そのさらに上を、白線が横切った。
だが、髪の上に線が重なって見えたのではない。

通行人の姿が、白線の下へ潜った。
道路の表面が透明で、その下に人間がいるような見え方だったという。

設備担当者を呼び、数人で確認した。全員に同じものが見えた。
スマートフォンを向けると画面にも白線は映ったが、撮影した画像を開くと消えていた。
残るのは普通の鏡面と、真下を通る人間だけだった。

その頃から、白線の位置が少しずつ動き始めた。
朝には出口寄りにあり、昼には鏡面の中央まで来る。夕方には反対側へ抜けていき、翌日はまた端から現れた。
速度は一定ではなかったが、一本の車道が頭上をゆっくり横切っているようだった。

駅の図面も確認された。
鏡面パネルのすぐ上にあるのはエスカレーターの構造材と配線で、そのさらに上も建物内部である。
道路が通っていた時代もなく、工事中の仮設通路とも位置が合わなかった。

それでも、鏡の中の車道は日に日に鮮明になった。
白線のほかに矢印が見え、その次には黄色い文字らしいものが流れてきた。
鏡面が黒いため全部は読めなかったが、塗装の剥がれやタイヤの擦れた跡まで分かるほどだった。

一週間ほど経った午後、道路の上を大きなものが動いた。
最初に見えたのは、銀色の平たい面だった。
設備担当者は、それがバスの屋根だと気づくまで数秒かかったという。

鏡の中を、一台のバスが走っていた。

見えているのは屋根だけだった。
実際のバス乗り場にいる車両とは向きが違い、建物の中を横切る方向へ進んでいる。
その時、鏡の下には十人ほどの通行人がいた。

バスの屋根が、その人たちの反射へ重なった。
一人目の頭が消れた。続いて肩が消え、身体全体の反射が銀色の屋根の下へ入った。
実際の本人は何も気づかず歩いている。二人、三人と、鏡の中から消えていった。

銀色の屋根が通り過ぎると、人々の反射はまた現れた。
ただし、元の位置ではなかった。

全員が数メートル先を歩いていた。
本人たちはまだ、そこへ到達していない。
鏡の中だけで、先に進んでいた。

設備担当者はすぐにその場所を簡易柵で囲った。
エスカレーター自体には異常がなく、利用停止にする根拠もなかったため、理由は「鏡面パネル点検」とされた。
その晩、利用者がいなくなってからパネルを取り外すことになった。

問題の鏡面は、一枚の大きな化粧板だった。
固定金具を外し、数人でゆっくり下ろした。表側には傷も変色もない。
白線も道路も、もう映っていなかった。

作業員の一人が、裏面を見て動きを止めた。

黒い粉が付いていた。
エスカレーター内部の埃とは違う。粒が粗く、指でこするとざらざらした。
道路脇に溜まる、細かな砂とアスファルトの屑によく似ていた。

その中を、一本の白い帯が横切っていた。
幅は十一センチほど。
表側の鏡に見えていた区画線と、ほぼ同じ幅だった。

白い部分を削ると、粉ではなかった。
熱で溶着したような硬い樹脂で、金属の裏面へ直接食いついている。道路標示に使う塗料に似ていたが、誰かが塗れる場所ではない。
パネルの裏側は、密閉された構造の内側だった。

さらに、白線の横に黒い擦過痕が四本あった。
タイヤ痕のように見えた。

翌日、そのパネルは新品と交換された。
取り外したものは廃棄せず、原因調査のため地下の資材室へ運ばれた。
それから鏡面に道路が現れることはなくなった。

少なくとも、利用者の目に触れる場所では。

資材室では、古いパネルを壁へ立てかけて保管している。
数日すると、その下に黒い粒が落ちていることに担当者が気づいた。掃いても、翌朝にはまたある。
量はほんのわずかだった。

一か月ほどすると、その黒い粒に白い欠片が混じるようになった。
検査に出したところ、主成分は道路標示に使われる熱可塑性樹脂に近かった。
ただし施設内の改修工事では、その材料を使用していなかったという。

保管場所も変更された。
パネルを反対向きにし、床には透明な養生シートが敷かれた。
それでも、黒い粒は落ち続けている。

奇妙なのは、その位置である。
粉はパネル全体から落ちているのではない。
毎朝、少しずつ横へ移動している。昨日より数センチ先に。

道路の端が、鏡の向こう側を通り過ぎているように。

施設担当者は、床に小さな印を付けている。
現在、その黒い筋は資材室の壁際を離れ、中央へ向かって伸びているという。
そして最近、その筋の幅が急に広くなった。

ちょうど、大型車一台が通れるくらいに。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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