枝のない場所

写真怪談

その木は、数年前から強い剪定を繰り返されていた。

駅前の商業施設に面した歩道に立つ大きな木で、幹は途中から何本にも分かれ、それぞれの先端が短く切り詰められている。太い枝の切り口は黒ずみ、そこから伸びた細い枝に、わずかな葉が残っていた。下から見上げると、青空に向かって何本もの腕を突き出しているようにも見える。

周囲には建物が迫り、頭上には電線も通っている。枝が伸びすぎると危険なため、定期的に手入れをしているという。剪定のたびに樹形は少しずつ変わったが、通行人の大半は気にも留めなかった。

その年の秋、施設の管理室に妙な連絡が入った。

木の上に、ビニール袋が引っかかっているという。風で飛ばされた薄い袋らしく、歩道から三メートルほど上に白いものが見えた。ところが、連絡を受けた管理員が現場へ出てみると、袋の周囲には枝がなかった。

白い袋は、何もない空間に引っかかっていた。

幹から最も近い枝までは、一メートル以上離れている。袋を吊るすような紐も見えず、電線とも接触していなかった。その日は風が強く、残った細い枝が盛んに揺れていたが、袋だけはほとんど動かなかった。口の部分がわずかに膨らみ、時折、何か硬いものに擦れるような音を立てている。

管理員は伸縮式の清掃棒を持ってきた。袋の下から棒を伸ばし、先端で軽く突いてみる。すると、袋に触れるより手前で棒が止まった。

ごつん、と乾いた音がした。

見上げても、そこには何もない。もう一度押すと、今度は棒の先が横へ滑り、何かの表面を擦るような手応えがあった。管理員は慌てて棒を引っ込めた。その先端には、薄茶色の粘り気のある液体が付着していた。

木の樹液に似ていた。

清掃棒が当たった位置は、以前、太い枝が伸びていた場所だったらしい。剪定前の様子を覚えている警備員がそう話した。だが、その枝は二年以上前に切り落とされている。現在の木を見れば分かるとおり、そこには短い切り口が残っているだけだった。

翌朝、ビニール袋はなくなっていた。

代わりに、小さな枯れ葉が三枚、同じ高さに浮いていた。葉は互いに三十センチほど離れており、風が吹くたびに細かく震えていた。下を歩いている人には、強い風に巻き上げられた葉が一瞬そこに留まっているように見えただろう。

しかし、管理員が昼休みに確認した時も、三枚は同じ場所にあった。

翌日には七枚になった。さらにその次の日には、細い紙片や糸くずまで引っかかっていた。どれも空中の決まった位置で動きを止めている。透明な何かが枝分かれしながら、そこに広がっているようだった。

施設側は造園業者へ相談した。

現場に来た職人は事情を聞き、長い測定棒を使って空間を確かめた。棒を差し出すと、確かに途中で何かにぶつかる。少し位置を変えれば通るが、元の場所へ戻すと同じ抵抗がある。手元へ伝わってくる感触は、硬い木の表面を叩いた時と変わらなかったという。

職人は不審そうに何度も幹を見た。

「ここから枝が出ていたんですよね」

剪定跡を指し示し、そう確認した。管理員が頷くと、職人は棒の先をゆっくり動かし、空中に何本かの線を描いた。見えない障害物の位置を探っているらしかった。

やがて職人の手が止まった。

「……切った枝の形じゃないな」

以前の枝なら、幹から外側へ向かって伸びていたはずだった。ところが棒に伝わる抵抗は、途中から下へ向かって曲がっている。しかも、その先で二つ、さらに三つに分かれていた。

枝のない空間に、別の樹形ができていた。

職人は、それ以上触ろうとしなかった。

数日後、まとまった雨が降った。

その日、木の下を通った人々は、奇妙な光景を目にしている。雨粒が空中の何かに当たり、途中で流れる方向を変えていたのだ。細い筋になった水が何もない場所を伝い、途中で幾筋にも分かれ、枝先から滴るように落ちていた。

そこには、巨大な透明の木が生えているように見えた。

実際の木から伸びているのは、短く剪定された幹と、わずかな枝葉だけである。その周囲に、もう一本分の枝が重なっていた。雨が強まるほど輪郭ははっきりし、古い剪定跡から歩道側へ、無数の細い枝が垂れ下がっていることが分かった。

管理員はすぐに通行を制限した。

その時、異変を見上げていた警備員が、妙なことを口にしたという。

「昨日より低くないですか」

確かに、最も低い枝先は以前より地面に近づいていた。数日前には三メートルほどの高さにあった枯れ葉が、雨に濡れたまま、二メートルほどの位置で揺れている。細い枝の輪郭も増えていた。

目に見えない枝は、成長していたのである。

施設側は自治体へ報告し、専門の業者による確認が行われた。写真や映像には、雨水が不自然な軌道を描く様子しか残らなかった。空中の何かを触れば確かな抵抗がある。それでも、そこに木材が存在することを証明する方法は見つからなかった。

結局、危険を避けるため、問題の空間を剪定用の鋸で切ってみることになった。

高所作業車の上から職人が鋸を差し出すと、刃は何もない場所に食い込んだ。ゆっくり前後に動かすと、乾いた木を切る時と同じ音がした。しかも鋸の下からは、細かな木屑が落ち始めたという。

誰の目にも木は見えていない。それなのに、刃は確かに何かを削っていた。

鋸を引く回数が増えるにつれ、奇妙なことが起きた。

地上の木が揺れ始めたのである。

風はほとんどなかった。ほかの枝葉は静止している。それなのに、剪定された太い幹だけが、小刻みに震えていた。黒ずんだ切り口の周囲から樹液が滲み、少しずつ表面を濡らしていく。

職人は作業を止めようとした。

その瞬間、鋸が強く引っ張られた。

刃が食い込んだまま、何かが下へ曲がったのだという。職人が柄を握り直すと、今度は鋸そのものがゆっくり持ち上がった。まるで切られている側が、刃を押し返そうとしているようだった。

次の瞬間、ばきん、と大きな音がした。

空中の一点から、大量の木屑が噴き出した。

茶色い粉と細かな破片が作業車の周囲へ散り、地上の舗装を覆った。鋸は抵抗を失い、職人の手元へ戻ってきた。何か大きなものが折れたはずだったが、枝が落下する様子は見えなかった。

ただ、歩道の中央で、重いものが地面に叩きつけられる音がした。

舗装が一か所だけ砕けていた。

長さ二メートルほどの細長い範囲に亀裂が入り、数枚のタイルが中央から割れている。周囲には木屑が散乱していたが、肝心の枝はどこにもなかった。

その日の作業は中止された。

回収した木屑は、見た目も匂いも普通の生木と変わらなかったという。施設側は詳しい調査を求めたが、どこで何を検査すればよいのか分からず、話は進まなかった。危険な箇所の舗装を補修し、しばらく歩道に柵を設けることになった。

ところが一週間後、木の下に妙なものが見つかった。

折れた枝のような細長いものが、歩道に沿って横たわっていたのである。

正確には、枝そのものではなかった。落ち葉と砂埃が、細長い形にまとまっていた。風が吹いても散らず、誰かが箒で払おうとすると、何か硬いものをなぞるように毛先が曲がった。舗装からわずかに浮いた位置に、透明な棒状のものがあるらしかった。

管理員は、以前の切断作業を思い出した。

あの日、何かが大きな音を立てて落ちた。けれど、枝は一本も見つからなかった。割れたタイルの位置と、細長く積もった落ち葉の位置は、ほぼ重なっていたという。

さらに数日経つと、その周囲に細い葉が現れ始めた。

落ち葉ではなかった。

薄い緑色をした、新しい葉だった。

管理員はそれを見てから、木の下へ近づかなくなった。

年が明け、歩道の補修も終わる頃には、地上に積もっていた葉や砂埃はきれいに取り除かれていた。施設側は柵を撤去し、通行を再開した。木は相変わらず、短く切り詰められた枝を青空へ突き出している。見上げても、以前と変わったところはなかった。

ただ、ひとつだけ残されたものがある。

剪定作業に使った鋸である。

刃の中央付近に、幅数センチの深い傷が入っていた。金属が削れ、何本かの刃先が内側へ曲がっている。通常の作業では考えられない損傷だったため、業者が処分せず保管していた。

しばらくして、その鋸に新たな異常が見つかった。

刃先の傷んだ部分から、細い木の繊維が伸びていたのである。

初めは鋸の歯に挟まった木屑だと思われた。しかし、ピンセットで取り除いても、数日するとまた同じ場所から繊維が出てきた。木材と金属が触れていた痕跡ではなく、金属の内側から木が生えているように見えたという。

業者は鋸を分解し、刃だけを透明な容器に収めた。

現在もそのまま保管されているらしい。

容器の底には、乾いた木屑が少しずつ溜まっている。誰も触れていないのに、刃先の繊維が伸び、やがて折れて落ちるのだという。湿度や温度を変えても止まらず、最近では繊維の先に小さな緑色のものまで確認されている。

葉のような形をしているそうだ。

一方、駅前の木には、その後も変化がない。

黒ずんだ太い切り口と、そこから伸びた細い枝。青空を背景に見上げれば、どこにでもある剪定された木にしか見えない。

ただ、施設の清掃員には、今でも守られている小さな決まりがある。

風のない日でも、木の下に落ちた紙くずを拾う時は、必ず箒を先に差し出すこと。

そして、頭上に枝が見えなくても、決してその場で背伸びをしないこと。

去年の秋、何も知らない新人の清掃員が、木の下で伸びをしたことがあった。

両腕を頭の上へ伸ばした瞬間、右手が何かに触れた。ざらざらした硬い感触だったという。驚いて腕を下ろすと、手のひらに薄茶色の樹液が付いていた。

頭上には何もなかった。

翌朝、その場所を確認した管理員は、もう一つ異変を見つけた。

高さ二メートルほどの空中に、小さな葉が二枚浮いていた。

前の日には、なかったものである。

そしてその二枚は、枝から落ちた葉のように下を向いてはいなかった。

どちらも、まっすぐ上を向いていた。

まるで、地面から伸びてくる何かを待っているように。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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