通過待ちの荷重

写真怪談

雨の日だけ、八番乗り場のベンチが壊れる。

そのバスターミナルでは、二年ほど前からそんな報告が続いていた。屋根のある乗り場で、頭上には八番と九番の表示が並び、八番には「路線バス専用」、隣の九番には「団体バス通過」と電光表示が出る。問題のベンチは八番の柱際にあり、雨の日になると決まって中央の補強材が下向きに曲がった。

最初は単純な老朽化だと思われた。ところが新品へ交換して三週間もしないうちに、同じ位置がまた沈んだ。ボルトは緩んでおらず、溶接にも異常はない。上から強い重量を掛け続けなければ、こういう曲がり方はしないというのが、施工業者の見立てだった。

施設の管理担当者から依頼を受け、保守会社の作業員が現地へ入ったのは六月の午後だった。朝から雨が降り続き、車道は黒く濡れている。八番には一人の男性客が座っており、足元には小さな荷物、ベンチの脇には飲みかけのペットボトルが置かれていた。

空いている席のほうが多かった。

それなのに、ベンチの脚を見た作業員は妙なことに気づいた。男性の座っている位置だけではなく、左右の空席の下でも、金属製の横梁がわずかに震えている。大型車が通った振動なら柱や屋根にも伝わるはずだが、揺れているのはベンチだけだった。

作業員は腰を落とし、横梁へ指を添えた。

その瞬間、空席の一つが沈んだ。

クッションのない金属製の座面だった。柔らかく凹む構造ではない。それでも目の前で、誰かが腰を下ろしたように座面中央が数ミリ下がり、脚と床を固定しているボルトから短い軋みが聞こえた。

男性客は何も反応しなかった。

さらに隣が沈んだ。

少し間を置いて、もう一つ。

ベンチの片側から順番に、見えない人間が詰めて座っていくようだった。座面が沈むたび、作業員の指へ重量が伝わってくる。錯覚ではない。横梁は確実に撓み、そのたび床へ押しつけられる力が強くなっていた。

男性客だけが、窮屈そうに肩をすぼめた。

「すみません」

男は、自分の隣の空席へ向かって小さく言った。

作業員が顔を上げると、男は少し身体を横へずらした。だが、その先の座面もすでに沈んでいる。男はさらに身体を細くし、膝を閉じ、両腕を腹の前へ寄せた。

「もう少しだけ、詰めてもらえますか」

誰も座っていない。

作業員が声をかけると、男は怪訝そうな顔をした。

「混んでるから仕方ないでしょう」

周囲を見ても、八番乗り場で待っている客はその男だけだった。

そのとき、頭上で電子音が鳴った。

九番乗り場の赤い表示灯が点灯し、「団体バス通過」の文字が明るくなった。作業員は反射的に車道を見たが、団体バスは来ていない。奥の進入路にも車影はなく、雨だけが斜めに落ちている。

ベンチが大きく軋んだ。

男の左右にある空席が、一斉に深く沈んだ。

横梁が目に見えて湾曲し、床へ固定された脚が内側へ引かれていく。作業員は慌てて手を離した。男は両側から押されているように肩を縮め、呼吸まで浅くなっていた。

それでも男には、何かが見えているらしかった。

正面ではなく、隣を見ながら何度も小さく頭を下げていた。

やがて男が立ち上がった。

同時に、その隣の座面が一つ戻った。

続いて、さらに隣。

端から順に金属が乾いた音を立て、沈んでいた座面が元の高さへ戻っていく。誰かが一人ずつ立ち上がっている。そうとしか見えなかった。

最後の一席が戻る直前、九番の表示灯が消えた。

車道側から、重いものが続けて地面へ下りるような衝撃が伝わった。

一回。

二回。

三回。

間隔は、人が歩く速さとほぼ同じだった。だが濡れたアスファルトには足跡も水跳ねもなく、雨粒だけが均一に砕けている。

男はそのまま八番乗り場を離れた。

路線バスが来る前だった。

作業員が呼び止めようとしたところで、男は九番乗り場の前を横切った。その瞬間だけ、降り続く雨の中に奇妙な空白ができた。

男の後ろに、人間ほどの幅をした雨の途切れが並んでいた。

五つ、六つではない。

何人いるのか数えようとして、作業員はやめた。輪郭が重なり合い、途中からどこまでが一人なのか分からなくなっていたからだ。それらは男について行くのではなく、男を挟むように歩いていた。

そして全員分の空白が車道を渡りきった瞬間、九番の表示がもう一度だけ点灯した。

「団体バス通過」

バスは最後まで来なかった。

その日の閉場後、ベンチは使用禁止となった。翌朝、施工業者が取り外したところ、表面には目立った異常がなかったものの、裏側の厚い補強板に楕円形の窪みがいくつも残っていた。

座った人間の尻の形ではなかった。

もっと小さく、縦長で、左右一対になっている。

靴底を強く押しつけたような形だった。

しかも窪みは座面の裏側、つまり人間が普通に座っているなら身体の上になる方向から付いていた。金属板そのものが、上ではなく下から踏まれていたように変形していたという。

問題のベンチは交換され、古いものは施設倉庫へ運ばれた。

ところが保管してからも、雨の日だけ窪みが増えた。

倉庫には利用客など入らない。ベンチの上には資材を載せず、念のため周囲も立入禁止にしていた。それでも翌朝確認すると、裏側の金属板に新しい靴底の形が一組ずつ増えている。

その後、管理担当者は数えるのをやめた。

現在の八番乗り場には別のベンチが設置されている。

雨の日でも普通に使える。

ただし九番の「団体バス通過」が点灯したときだけは、八番で座っている人の数を確認することになっている。

理由は、ある夜の点検記録にある。

八番のベンチに座っていた利用客は、一人。

目視でも一人だった。

だがベンチを固定する四本の脚には、それぞれ異常な圧痕が残っていた。あとで荷重の掛かり方を調べたところ、一人分では説明できなかったという。

そして同じ夜、倉庫に保管された古いベンチの裏には、新しい窪みが一つ増えていた。

ほかの跡とは向きが違っていた。

それだけは、ベンチから降りるための足跡ではなく、

これから座ろうとしている向きだった。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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