上を歩いて帰る人

ウラシリ怪談

その豪雨の夕方から翌未明にかけて、町には激しい雨が降っていたそうです。道路の低いところには水がたまり、車で帰ることを諦めた人も少なくありませんでした。

その夜、地上から吊り下がるように走る鉄道だけは、運行を続けていました。終電も延長され、駅員たちは帰れなくなった人を、できるだけ家の近くまで運ぼうとしていたといいます。

その路線で、車両の清掃を担当していた男性がいました。
日付が変わる少し前、折り返してきた車内を点検していると、妙なものを見つけたそうです。

天井に、濡れた足跡がありました。

床ではありません。座席の真上、細長い天井板の上を、小さな裸足の跡が二つ、三つと続いていました。
雨水なら、上から漏れたものとも考えられます。けれど跡には、踵と五本の指がありました。まるで誰かが、天井を歩いていったようだったそうです。

男性が布で拭くと、跡は簡単に消えました。
ところが次の折り返しでは、また残っていました。今度は四歩ぶん。その次は七歩ぶん。

すべて、車両の進行方向とは逆に続いていました。
つまり列車が町の中心へ向かう時には郊外へ。郊外へ向かう時には、町の中心へ。
いつも「帰る側」へ歩いていたことになります。

男性は運転を担当していた同僚にその話をしました。
同僚はしばらく黙ったあと、一人の乗客について話したそうです。

終電を延長してから、同じ老人を三度見ている。
灰色の雨合羽を着て、いちばん後ろの席に座っている。
けれど終点で車内を確認すると、いない。途中で降りた記憶もない。

そんな話でした。

四度目の運行で、男性もその老人を見ました。
雨合羽の肩は濡れていませんでした。両手で、小さな黄色い傘を抱えていたそうです。子ども用の傘でした。

老人は窓の外を見たまま、
「ここは、下が水でも走れるんですね」
とだけ言いました。

男性は、そういう構造なのだと答えました。車輪や走行部分が頭上の桁の内側に収まっているため、雨や雪の影響を受けにくいのだ、と。

老人は少しだけ頷いたそうです。
「それなら、あの子も帰れますね」

男性が聞き返した時には、老人は窓を見ていました。

その駅を発車してからです。

頭の上で、
ぺた。
ぺた。
と、濡れた裸足で板を踏むような音がし始めました。

車両の屋根より、もっと近い場所でした。
吊り革が、ひとつずつ小さく揺れました。

ぺた。
ぺた。

音は老人のいる最後尾へ近づいていきます。
そして老人の真上で止まりました。

その瞬間、老人が抱えていた黄色い傘が、ぱちん、と開いたそうです。
車内で。誰も触れていないのに。

傘の内側から、水滴が一つ落ちました。
老人はそれを見て、小さく、
「遅かったな」
と言いました。

次の駅で老人は降りました。黄色い傘を一本、開いたまま持っていました。

ただ、男性には妙に見えたそうです。
老人が降りる直前まで、傘の柄を握る手が二つあったからです。

老人の皺のある右手と、
その少し下に重なった、小さな手。

ホームへ出ると、その小さな手は見えなくなりました。

列車は再び動き出しました。
その夜、延長運転が終わるまでに、路線は十五・二キロを何度も往復したそうです。

最後の車両を車庫へ入れて、男性が天井を確認しました。
足跡はありませんでした。

代わりに、最後尾の座席の真上に、一か所だけ小さな水滴が残っていました。
拭こうとして手を伸ばしたところ、水滴は落ちてきました。

男性の掌に当たりました。
けれど濡れなかったそうです。

ただ、そこだけがしばらく、人肌ほどに温かかったといいます。

しばらくして、男性はあの老人について駅員に尋ねました。雨の夜、黄色い子ども傘を持っていた人です。
一人だけ、覚えている駅員がいました。

豪雨の日だけではなく、以前からときどき見かける人だったそうです。
駅員の記憶では、その老人はいつも一人でした。

ただ、改札を通る時だけ、
必ず二人ぶんの場所を空けて歩いていたといいます。

あの夜以来、激しい雨のため終電が延びると、清掃員たちは天井も確認するようになったそうです。
裸足の跡が見つかることは、今でもあるのだとか。

けれど誰も拭かないといいます。

跡は終点へ近づくほど一つずつ減っていき、最後には必ず消えるからです。

どこへ帰っているのか。
あるいは、誰を家まで送っているのか。

それを確かめた記録は残っていないそうです……そんな話を聞きました。

この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。

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