ある街で、毎年かなりの人出になる秋祭りがある。祭りの名前は伏せるが、駅前から続く大通りの両側に露店が並び、夜まで人の流れが途切れないことで知られている。
その年は、終了時刻の少し前から雨になった。客が帰り始めると、店先では濡れた幟やビニールの庇を畳む音が続き、歩道には食べ物の容器や割り箸、踏み潰された紙袋が残っていた。街路樹から落ちる雫と車のライトが濡れた路面に重なり、通り全体がまだ祭りの明かりを引きずっているように見えたという。
警察官二人が、その通りの最終巡回を担当していた。交通規制が解除されたあとも、酔った客が残っていないか、撤収車両が歩道を塞いでいないかを見る必要がある。大きな祭りでは、客がいなくなってからのほうが気を遣うことも多いらしい。
歩道の中央には、黄色い点字ブロックが長く伸びていた。露店の屋根が歩道側へ張り出しているため、二人は自然とその黄色い線に沿って歩いていた。一度目の巡回では、何もなかった。
二度目に同じ場所へ戻ったとき、後ろを歩いていた警察官が足を止めた。靴底の下で、点字ブロックがわずかに沈んだ気がしたという。雨で浮いたのだろうと思い、踵で軽く踏んでみた。だが硬い。黄色い樹脂は舗装にしっかり固定され、端がめくれている様子もなかった。
再び歩き出した直後だった。右足を上げた、そのあと、いま足を離したばかりの場所が、ぐっと下へ押された。
目で見て分かるほどではない。ただ、靴底から伝わる感触だけがあった。自分が踏んだ反動ではなく、下から誰かが押し返してきたような、小さな圧力だったという。
前を歩いていたもう一人を呼び止めた。事情を話すと、「水が回ってるんじゃないか」と言われた。確かに雨はかなり強くなっていたし、露店から流れた水が歩道の継ぎ目へ入っていてもおかしくない。二人はその場を離れた。
三十分ほどして、三度目の巡回に入った。露店はさらに暗くなり、残っているのは撤収作業をする人と、車両を誘導する係員くらいだった。透明な傘を差した人が一人、畳まれた屋台の間を抜けていったのを最後に、歩道から通行人の姿も消えた。
先ほどの場所では何も起きなかった。代わりに、そこから二十メートルほど先で、前を歩いていた警察官が急に立ち止まった。黄色いブロックの上だった。
「今、踏まれた」
そう言って、自分の足元を見たという。誰にも踏まれていない。二人の間にも、背後にも人はいなかった。
その警察官が一歩進んだ。半拍遅れて、今まで立っていたブロックが沈んだ。もう一歩進むと、また、その後ろが沈んだ。雨水が黄色い突起の間に溜まっていたため、今度は目でも分かった。水面が丸く揺れ、ほんの一瞬だけ低くなる。人間が上から足を置いたときと同じ形だった。
ただし、二人はもうそこを踏んでいない。
警察官たちは点字ブロックから外れ、脇の灰色の舗装へ移った。すると黄色い線の上だけを、順番に雨水が揺れ始めた。一枚、少し間を置いて次の一枚、さらに次。人の歩く速さだった。
二人が進む方向と同じだったという。足音は聞こえない。水しぶきも上がらない。ただ、点字ブロックだけが、一歩ずつ何かの重さを受けていった。二人は歩道の端へ寄ったが、その見えない歩みは止まらなかった。
やがて二人の横まで来た。
そこで一度だけ、黄色いブロックが大きく沈んだ。二人のあいだに誰かが立ったとしか思えない位置だった。数秒後、元に戻った。それきり、何も起きなかったという。
翌朝、市の担当者が歩道を確認した。警察から連絡を受けたというより、祭りの撤収作業中に「一枚だけ浮いている」と業者から報告があったためだった。昨夜、最後に沈んだブロックだった。
端を工具で持ち上げると、接着材が部分的に剥がれていた。雨水が入ったのだろうと、担当者はその場では考えたらしい。ところが、ブロックを完全に外したところで作業が止まった。
裏側に、靴の跡があった。
一つではない。濡れた泥を踏んだ靴底の模様が、黄色い板の裏いっぱいに重なっていた。子どもほどの小さなもの。運動靴らしいもの。底の平らな革靴。そして、深い溝のある大きな靴。祭りの人混みが、そのまま歩いたような数だったという。
だが、そこはブロックの裏側である。その下には硬化した接着材とコンクリートが密着していた。人間の足が入る隙間など、数ミリもなかった。それなのに、泥だけがまだ湿っていた。
担当者は写真を撮ったあと、警察へ連絡した。前夜に巡回していた二人も現場へ呼ばれた。そのうち一人が、裏側に残った大きな足跡をしばらく見ていた。踵の外側が、一か所だけ欠けていた。本人の履いていた靴も、同じ場所のゴムが欠けていたという。
念のため重ねてみると、大きさも溝の形も一致した。ただ、一つだけ違っていた。本人の靴底についた泥は、前夜ずっと歩いていたため、踵からつま先の方向へ擦れていた。ブロックの裏にある跡は逆だった。つま先から踵へ向かって泥が引きずられていた。
つまり同じ靴で歩いたのなら、その足は、歩道の裏側を逆さになって歩いていたことになる。
その部分の点字ブロックは交換された。下のコンクリートも削られたが、空洞も配管も見つからなかった。ただ、作業員が古い接着材を剥がしたとき、そのさらに下からもいくつか靴跡が出てきたという。
今度は泥ではなかった。硬いコンクリートそのものに、靴底の溝が浅く刻まれていた。どれも、地上を歩く人とは反対の向きだった。
その街では翌年も祭りが開かれた。大きな事故もなく、夜には予定どおり終了したそうだ。ただ、終了後の巡回では一つだけ申し送りが増えたという。
雨の日、黄色い点字ブロックの上を歩くときは、後ろから誰かについてくる感触があっても、立ち止まらないこと。
確かめるために足を止めると、それまで一歩遅れていたものが、そこで追いついてしまうらしい。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。


