横断歩道の残像

写真怪談

その横断歩道は、ある駅の高架下にある。夜でも人通りは途切れず、タクシーや乗用車が信号待ちをし、その隙間を帰宅途中の歩行者や自転車が絶えず横切っていた。頭上を鉄道が通るたびに低い高架が震える、ごく普通の駅前だった。

道路補修を請け負う会社に、そこの横断歩道について連絡が入ったのは、夏の終わりだった。白線の中央付近だけ、塗料が妙な形で傷んでいるという。剥離でも摩耗でもなく、乾いた塗料を指で強く擦ったように、二十センチほど横へ引き延ばされていた。

夜間の交通量が減る時間を待って、作業員二人が現場を確認した。塗り直しなら一晩で終わる。そう考えて信号脇で車列が切れるのを待っていると、一台の自転車が目の前を横切った。

その自転車だけが、ぶれて見えた。

速く走っていたわけではない。むしろ人混みを避けながら、かなりゆっくり進んでいたという。それなのに車体も乗っている人間も、濡れた絵の具を上下に擦ったように輪郭が縦へ伸びていた。周囲の歩行者も、向こうで停まっているタクシーも、赤い信号も鮮明に見えている。

作業員は目を擦った。もう一人も同じように自転車を見ていたので、目の疲れではなかったらしい。自転車は何事もなく反対側へ渡り、そのまま人混みに紛れた。

直後、路面から小さな音がした。

ぺり、と、粘着テープを剥がすような音だった。見ると、さっきまで傷んでいた白線がさらに横へ伸びていた。固まっているはずの道路用塗料が細く引っ張られ、真ん中だけが半透明になるほど薄くなっている。

二人は幅と長さを測って記録した。塗料の表面を触っても硬い。熱で溶けた形跡もなく、指にも付着しない。それでも見た目だけは、たった今、柔らかいものを何かが引きずったようだった。

応急処置はせず、翌日の深夜にもう一度確認することになった。

同じ時刻、同じ場所で待っていると、また自転車が来た。前夜とは別の車体だった。乗っている人間の服装も違う。それでも横断歩道の中央へ入った瞬間、車輪から頭までが縦にぼやけた。

作業員の一人が、白線の横へ置いてあった小さなカラーコーンを見ていた。

自転車がその前を通過した瞬間、コーンの中央部分だけが横へずれた。

倒れたわけではない。上半分と下半分は元の位置にあるのに、その間だけ赤い樹脂が十センチほど横へ引き延ばされていた。伸びた部分は薄く、向こう側の道路が透けて見えた。

触れると硬かった。

元へ戻すことも、押し込むこともできなかった。最初からそういう形に成型された製品のようになっていた。

その夜から、横断歩道の中央には人が立たないよう簡易柵を置いた。原因が分かるまで塗装工事も延期された。ところが三日目、作業員が柵の外側に立っていると、信号待ちをしていた自転車がまた一台、横切ってきた。

作業員は道路には出ていなかった。自転車との距離も二メートル以上あったという。

それでも、ぶれた輪郭が正面を通過した瞬間、左肩を強く横へ引かれた。

誰かに掴まれた感触はなかった。痛みもほとんどなかった。ただ、安全ベストの左胸から脇腹までが急に細くなり、黄色い蛍光生地の一部が帯状に消えていた。切れ端は落ちていない。縫い目も切れていなかった。

消えた生地は、横断歩道にあった。

白線の中央に、幅六センチほどの黄色い筋が走っていた。表面へ貼りついているのではなく、塗料の内部に蛍光色の繊維が入り込んでいた。カッターで削っても、下から同じ色が出てきた。

その晩、作業員が帰宅してから肩の違和感に気づいた。服を脱ぐと、ベストの生地が消えた位置と重なるように、皮膚にざらざらした白い筋が一本ついていた。洗っても落ちなかった。

病院で拡大して見ると、皮膚の表面に微細な透明粒がいくつも食い込んでいた。

道路用塗料に混ぜる反射材と同じものだった。

会社は翌朝、その部分の横断歩道を削り取った。表面だけではなく、念のため数センチ下の舗装まで切り出し、夜のうちに新しいアスファルトへ交換した。信号設備にも異常はなく、それ以降、ぶれて見える自転車を目撃したという報告も出ていない。

ただ、切り取った舗装片を処分する前、担当者が断面を確認している。

白い塗料の下に、黄色い繊維が入っていた。

それよりさらに深いところには、黒いゴムの薄い層があった。タイヤ痕ではない。厚さ数ミリほどのゴムそのものが、道路の内部へ水平に埋め込まれていた。

そして、そのゴムの端から一本だけ、細い金属線が出ていた。

自転車のスポークだった。

錆もなく、折れ曲がってもいなかった。道路を舗装した時期より新しい型の部品だったことだけは確認されたという。

作業員は、その断面を見てから考え方を変えたそうだ。

あの場所で見えていた「ぶれ」は、速く動いたものの残像ではなかったのではないか。

横切るたびに、何かがほんの薄く削り取られていたのではないか。

道路も、自転車も、人間も。

実際、皮膚に白い筋が残った作業員の左肩には、今も幅六センチほど、汗をかかない場所があるという。その部分だけ触っても温度が分からず、強く押してもほとんど痛みを感じない。

本人はもう、その駅を利用していない。

横断歩道で自転車が目の前を通ると、どうしても乗っている人間ではなく、その後ろを見る癖がついたからだという。

通り過ぎたあと、本当に何も残っていないか。

そして、自分から何かが減っていないか。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

この怪談の怖さを評価する

星を押して、怖さを5段階で評価してください。

平均評価 0 / 5. 読者の怖さ評価 0

まだ評価はありません。最初の評価をお願いします。

 

タイトルとURLをコピーしました