あの公園の遊具には、放課後になると決まって同じ制服の子たちが集まっていた。
赤い輪のついた「UP-DOWN」のベンチに、みんなきれいに背中を並べて座る。
こちら側からは顔が見えない。
だから最初は、ただ仲のいい子たちが、内輪の話をするためにそうしているのだと思っていた。
おかしいと気づいたのは、見回り当番で公園の前を通った日のことだった。
七人いるはずなのに、遊具の下の砂利に残る靴先の並びが八つあった。
しかも余った一つは、ちょうど真ん中の黄色い支柱に向かって揃っていて、誰かが輪の内側から全員を見上げるような向きになっていた。
その日は風で崩れたのだろうと片づけたが、翌日も、その翌日も、同じ位置に同じ一組だけが残った。
三日目、子どもたちが立ち上がるところを、少し離れた木陰から見た。
七人が同時に腰を上げたのに、遊具はすぐには戻らなかった。
片側だけが、ほんのひと呼吸ぶん沈んだまま、遅れて軋んだ。
誰か一人、まだ座っている時の重さだった。
そのあとから、支柱の真下の砂利だけが奇妙に磨かれはじめた。
靴底で踏まれたのとは違う、膝か脛で擦られたような、丸い艶が出ていた。
掃除しても翌日にはまたできる。
赤いパイプの内側にも、一定の高さにだけ皮脂のような曇りが残り、そこだけ子どもの手では届きにくい角度でぬめっていた。
管理の人が首をひねっていたのを覚えている。
さらに一週間ほどして、あの子たちの様子までおかしくなった。
誰かが遅れて来てもいないのに、輪の中に向かって少しだけ体をずらし、詰めるようになったのだ。
端の子ほど露骨だった。
何もない空間に肩を譲るみたいに、無意識に半身を引く。
それでいて誰ひとり、絶対に前を見なかった。
内側にいるはずのものの顔を、見ないようにしているとしか思えなかった。
ある雨上がりの夕方、とうとうひとりの子が泣き出した。
「今日は近い」
それだけ聞こえた。
他の子は慰めるでもなく、ただ全員で赤い輪の内側を見ないまま、背中を固くした。
次の瞬間、支柱の真下から、湿った布が砂利を擦るような音がした。
遊具全体がごくわずかに沈み、七人の背中がいっせいに前へ押された。
見えない八人目が、輪の中で立ち上がったのだと思った。
その日を境に、放課後の公園は急に静かになった。
あの子たちは来なくなったし、学校帰りの子どももあの遊具を避けるようになった。
理由を知っているらしい者は、誰も正面側の話をしない。
背中しか見えない場所だから大丈夫だったのに、一度でも向こう側へ回った子は、翌日から輪に入れなくなるのだという噂だけが残った。
今でも雨の翌朝になると、支柱の前に八つ目の足跡が現れることがある。
小さい革靴でも上履きでもなく、靴下のまま濡れた足で立ったような、細長い跡だ。
しかもその向きはいつも同じで、円の中心ではなく、座っていた七人の背中へまっすぐ向いている。
あれは遊びたかったのではない。
最初から、混ざるためではなく、向かい合うためにそこへいたのだ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

