この公園には、毎日ほとんど同じ時間になると遊具に座る男がいる。
子ども向けの回転遊具なのに、男はいつも背筋を伸ばしてそこへ腰かけ、片手でスマートフォンを耳に当てたまま、低い声で中国語を話し続ける。近所では少し有名だった。散歩中の老人も、保育園の迎え帰りの母親たちも、「またいる」と言う。雨の日はさすがに見ないが、曇りでも晴れでも、だいたい同じ時刻になると現れる。誰かと通話しているらしいが、笑い声も怒鳴り声もなく、ただ一定の調子で、同じ長さの言葉を何度も区切るように話していた。
最初に変だと思ったのは、遊具の向きだった。
公園のその遊具は、少しずつ回ることはあっても、使い終われば適当な角度で止まる。なのに男が座ったあとだけ、必ず黄色い支柱が園内の時計のほうを向いて止まっていた。誰かが面白がって印をつけたらしい。翌日見に行くと、地面の砂に残っていた擦れ跡が、きれいに同じ位置で重なっていた。男は通話を終えるとすぐ立ち去るのに、遊具だけが、最後の数度ぶんをひとりで調整したみたいに止まっている。
気味が悪くなって、近所の大学生が一度、少し離れたベンチから録音したことがあるらしい。
だが再生すると、男の声の奥に、もうひとつ声が入っていた。小さく、金属の筒の内側で反響するような声で、男の言葉より半拍だけ遅れて同じ内容をなぞっている。外国語だから意味は分からないはずなのに、聞いていた人間はみな、なぜかその遅れたほうが「先に話している」と感じたという。後追いのはずの声に、会話を決めている順序の重さがあった。
それから、男の座る位置に異変が出始めた。
最初の日は、青い背もたれの縁に、指でなぞったような白い粉がついた。ペンキの剥がれかと思ったが、触ると粉ではなく、乾いた皮膚のように薄く縮れる。次の日には、黄色い支柱のちょうど耳の高さのところだけ、手の脂で磨かれたようにてらてら光った。その翌日には、男が帰ったあとも、遊具の座面だけが人肌より少し温かいまま残った。春先なのに、そこへ手を置くと、長電話で熱を持ったスマートフォンの裏側みたいなぬるさがあった。
決定的だったのは、男が来なかった日だ。
その日も、いつもの時間になった。曇っていて、子どもの姿は少なかった。誰もいない遊具は静止したままだったのに、時刻がぴたりと合った瞬間、支柱の陰がほんのわずかにずれた。風もないのに、遊具が自分で半回転だけ動いたのだ。青い背もたれがこちらを向き、そこで初めて、裏側に細い傷が何本も並んでいるのが見えた。爪痕ではない。数字のようでもあり、縦書きの文字列のようでもある、浅い線だった。見ていた主婦のひとりが「あの人、今日はまだ来てないですよね」と言った直後、誰のスマートフォンでもない着信音が遊具の中心から鳴った。
短く一回。
切れて、また一回。
それを三度繰り返してから、中で誰かが通話を取ったみたいに、ぴたりと鳴りやんだ。
その場にいた人のうち、中国語の分かる者があとで録音を聞き返したところ、男が毎日繰り返していたのは世間話ではなかったらしい。
「着いた」
「まだ座れる」
「今日は見えていない」
だいたいその三つを、順番を少し変えながら話していたという。
では、誰に向かって報告していたのか。
その答えらしいものは、数日後に残った。
男を見かけなくなってから一週間ほどして、遊具の黄色い支柱に貼ってあった注意シールの下から、古い紙片が半分だけめくれた。剥がしてみると、その下にさらに古い管理番号があり、今の公園が整備される前、そこには電話ボックスがあったことが分かった。撤去記録の日付は二十年以上前で、備考欄にはこう一行だけあったという。
「内部に着座痕あり、回転椅子撤去済み」
今の遊具が設置された時期と、その撤去記録の日付は、きれいに続いていた。
だから近所では、あの男は毎日電話をしに来ていたのではなく、まだ電話ボックスの中に座っていたのだろうと言われている。
公園になっても、遊具に置き換わっても、相手が出るまで席を立てないまま。
いちばん嫌なのは、その話が広まってから、誰もあの遊具に長く座らなくなったのに、支柱の耳の高さの艶だけは薄れないことだ。
そして決まった時刻になると、遊具は誰も乗せていない重さでゆっくり沈み、青い背もたれの裏にある細い傷が、一日一本ずつ増えていく。
今はまだ、文字には見えない。
けれど、あれが通話の回数ではなく、座れる人数を数えているのだとしたら。
あの男が毎日報告していた「まだ座れる」の意味は、こちらが思っているよりずっと具体的だろう。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

