駅の出口に、雨の日だけ濡れる場所がある。
屋根の下だから、本来なら乾いているはずだった。緑色の高架橋の下を傘が途切れず流れ、外の歩道は銀色に光っている。それなのに、出口の手前にある黄色い点字ブロックだけが、誰かに撫でられたように濡れていた。
最初に気づいたのは、足裏の感触だった。
いつものようにその上を越えようとしたとき、靴底の下で、突起のひとつがぐにゃりと沈んだ。ゴムではない。濡れた豆を踏んだような、柔らかくて、あとに小さな抵抗だけが残る感触だった。
振り返ると、黄色い列の中に一か所だけ、丸い突起が消えていた。すぐ横を通った人たちは誰も止まらない。透明な傘を傾け、スマホを見ながら、当たり前みたいにそこを踏んでいく。けれど誰かが通るたび、消えた突起は少しずつ手前へ戻ってきた。床の中から押し上がるように、じわり、じわりと。
その夜、靴を脱いだとき、右足の靴底に黄色い粒がひとつ付いていた。
泥ではなかった。硬い。爪で削ろうとしても取れない。ゴムの底に最初から埋まっていたみたいに、丸い突起がひとつ、きれいに生えていた。気味が悪くなって玄関に置いたまま寝た。
翌朝、玄関の床に黄色い点が一つ増えていた。
靴底の突起と同じ形だった。床材の上に貼りついているのではなく、床そのものが盛り上がっている。触ると冷たく、濡れていた。指先に雨水の匂いが残った。
それから、その出口を避けるようにした。隣の出口から回り、わざと遠回りをした。けれど雨の日になると、どうしても足がそこへ戻った。地下通路の曲がり角で行き先の表示を見失い、階段を上がると、結局あの緑の高架橋の下に出る。透明な傘の群れが横切り、黄色い点字ブロックが、屋根の下で濡れている。
二度目に見たとき、点字ブロックの列は増えていた。
外へ向かうための一本ではなく、駅の内側へ向かって、細い枝のように分かれていた。タイルの目地を越え、柱の影を回り込み、壁際でスマホを見ている若い男の足元まで伸びていた。男は気づいていない。けれど彼の靴の下で、黄色い突起が一つずつ起き上がっていくのが見えた。
男が歩き出した瞬間、変なことが起きた。
右足だけが、床に一拍遅れて残った。身体は前へ進んでいるのに、濡れた靴跡だけが黄色い列の上に貼りつき、数秒遅れて、ぺり、と剥がれた。剥がれた跡には、丸い点が三つ並んでいた。
男はそのまま改札のほうへ消えた。本人は何も落としていない。けれど床には、男の歩幅に合わせた小さな黄色い盛り上がりが続いていた。
その日から、雨の日のあの出口では、ときどき人の足音だけが戻ってくる。
人影はない。傘もない。濡れた床に、靴底が点字ブロックを踏む音だけが近づいてくる。こつ、こつ、ぐにゃり。最後の一歩だけ、必ず柔らかい。
この前、管理会社の清掃員が黄色い列を剥がしているところを見た。古くなったから交換するのだという。端をめくった瞬間、全員が手を止めた。
黄色い板の下にも、同じ突起があった。
床のコンクリートから直接、無数の丸い点が浮き出ていた。人の足裏の形に合わせて、内側へ向かって。駅から外へ導くためのものではなかった。外から駅へ戻すための道が、ずっと下に隠れていたのだ。
今、うちの玄関にも黄色い点が増えている。
雨の夜だけ、靴箱の前からドアへ向かって一列に濡れる。まだ一本にはなっていない。けれど最後の点は、必ずこちら側にある。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

