登り痕

写真怪談

向かいの家の塀の上に、黒い革靴が一足、いつからか揃えて置かれていた。男物の、よく磨いたあとが残る柔らかい靴で、赤いもみじの枝先に触れそうな位置に、つま先だけがきちんと家の方を向いていた。誰かの忘れ物にしては妙だった。あの家の人間にサイズが合う者はおらず、雨の翌朝でも靴の甲だけは乾いたままだったからだ。

最初におかしいと思ったのは、靴をどかした翌日だった。管理人が気味悪がって門の脇へ移したのに、朝にはまた同じ塀の上へ戻っていた。しかも二足のあいだのざらついたコンクリートだけが、帯のようになめらかに擦れていた。靴底でこすった跡ではない。裸足の土踏まずを、長いあいだ同じ場所へ押しつけたみたいな、脂じみた白さだった。見上げると、真上の屋根板の裏に、平行な二本の筋が新しく走っていた。埃だけがそこを避け、歩幅のまま、家の壁へ向かっていた。

それから毎夕、靴は指一本ぶんずつ離れていった。風もないのに紅い葉の先だけが外へ撫で分けられ、革のこすれる小さな音が頭上で一度、また一度と鳴った。屋根裏の筋は日ごとに一本の梁ぶん先へ進み、塀の正面には、昨日より少し高い場所に灰色の踵跡が二つ増えた。誰かが塀の中から、足首まで埋まったまま、上へ上へと立ち位置を変えているみたいだった。

気になって、ある夕方、玄関の明かりを消して待った。通りの音が遠のいたころ、塀の上の靴が、ごくわずかに沈んだ。中に足が入った時の、あの革の張る形になった。だが足は見えない。靴の口の闇だけが深くなり、帯のように白かった塀の天端がじわりと濡れた。直後、塀の正面にあった踵跡がひとつ上へ跳ね、頭上で、重い体を載せたように屋根板がみし、と鳴った。赤いもみじの枝が、見えない肩を避けるみたいに左右へ開いた。

その音は二階の空き部屋の前で止まった。誰も使っていないはずの窓の内側で、鍵も掛かったままのカーテンが一度だけふくらんだ。翌朝、塀の上の靴はまたきちんと揃っていたが、中には細かなモルタルの粉が半分ほど溜まり、片方の奥にはちぎれた紅葉が押し込まれていた。空き部屋の内壁には、床から届かない高さに、靴底を擦りつけたような黒い半月が二つ並んで残っていた。

今もあの靴は捨てられない。動かすと、その夜のうちに戻ってくるからだ。雨の日の翌朝だけ、屋根板の裏は二つの足形を残して乾き、塀の正面の踵跡はまた少し上へ増える。もうじきいちばん上の段に届く。そうなったら次は、塀の向こうではなく、家の中を歩くのだと思う。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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