家ではない側

写真怪談

市の空き家実態調査を担当していた頃、同じ地番について、正反対の報告が届いたことがある。一方には「錆びた足場と廃材が放置された危険な倉庫」、もう一方には「住民が暮らしているため立ち入り注意」と書かれていた。

現地へ向かった私は、細い路地の西側から建物へ近づいた。軒は黒ずみ、鉄製の柵や手すりには赤錆が浮いている。建物に沿って組まれた鉄管も、工事の途中とは思えないほど汚れ、継ぎ目には苔まで生えていた。

玄関は見当たらなかった。壁際には白いバケツや自転車、青いシートをかけた荷物が押し込まれ、二階部分も倉庫の庇にしか見えない。人が暮らしている気配など、どこにもなかった。

それでも、中央に並ぶ四角い柱の一本へ近づいたとき、内部から食器の触れ合う音がした。金属を叩くような響きではない。茶碗の中で箸先が転がり、誰かがそれを指で拾い上げる、ごく小さな生活の音だった。

柱へ耳を当てると、炊飯器の蓋が開く音も聞こえた。その直後、コンクリートの表面が内側からわずかに膨らみ、人間の指ほどの細い隆起が五本、私の頬の横を撫でるように浮かんだ。

驚いて離れると、隆起は消えた。ただ、耳を当てていた場所だけが生温かく、灰色の壁に脂のような跡が残っていた。

私は建物の周囲を回り、反対側の道へ出た。

そこから見ると、同じ建物には玄関らしいドアがあり、その上には窓のある部屋が続いていた。白いサッシの内側にはカーテンが掛かり、二階のベランダには古いサンダルが一足並んでいる。先ほど見た倉庫や物置とは、どうしても同じ建物に思えなかった。

玄関から七十歳ほどの女性が出てきた。私が市の者だと名乗ると、女性は私が来た道を確かめ、声を落とした。

「西から、あの家を見ましたか」

女性は戸田と名乗った。ここには息子夫婦と三人で暮らしており、鉄管は二十年以上前から残してあるという。工事が中断したのでも、撤去費用を惜しんでいるのでもなかった。

「あれがないと、西側から来た人には、私たちが人に見えなくなるんです」

冗談には聞こえなかった。戸田さんは私を玄関前へ立たせ、自分は鉄管の向こう側へ歩いていった。数歩進んだだけで、彼女の輪郭が柱に隠れた。

私も西側へ回った。

先ほど戸田さんが立っていた場所には、青いシートを被せた細長い荷物が置かれていた。膝ほどの高さで紐を結ばれ、上部には白髪に似た繊維が絡んでいる。中からは、ビニール袋をゆっくり揉むような音が続いていた。

南側へ戻ると、戸田さんは同じ姿勢で立っていた。だが白髪の中には赤錆の粉が混じり、右手首には、紐で強く縛られたような紫色の跡が一周していた。

鉄管は建物を支えているのではない、と戸田さんは言った。家と物置の境目が完全に閉じないよう、視線を細かく遮っているのだという。

十六年前、一度だけ、所有者の許可なく鉄管が撤去されたことがあった。作業員は全員、西側から建物へ入った。戸田さんたちが制止しても、作業員には人の声ではなく、風でシートが鳴っているようにしか聞こえなかった。

その日、戸田さんの夫は家の前から消えた。

作業員の記録には、「古い絨毯一巻を搬出」と残っていた。廃棄場へ運ばれる途中、家族が鉄管を一本だけ元の位置へ戻すと、トラックの荷台から夫が見つかった。身体は生きていたが、両腕と両脚が胴へ沿って固まり、巻いた布のように一人では伸ばせなくなっていた。

夫は三日後に亡くなった。遺体の背中には、絨毯の裏地と同じ格子模様が皮膚の奥まで刻まれていたという。

私は鉄管を撤去しないよう報告書をまとめた。しかし翌月、腐食による倒壊の危険があるとして、別部署が撤去を決めた。現場へ来た業者は、やはり西側の路地から作業を始めた。

私は戸田さんたちと玄関側にいた。こちらからは、息子が自転車を移動させ、戸田さんがバケツを家の中へ運んでいるのが見える。ところが鉄管の向こうにいる作業員たちは、「残置物が多い」「処分しながら進めよう」と話していた。

一本目の横管が外された瞬間、戸田さんの背中に黄色い長方形が浮かんだ。

それは、作業員が青いシートへ貼った廃棄物用のシールと同じ形だった。戸田さんが剥がそうとすると、皮膚まで黄色く引きつり、薄い膜となって指へ貼りついた。

二本目が外れると、息子の姿が腰から下だけ透けた。西側では、自転車の前に積まれたバケツが二つ減り、代わりに脚ほどの長さをした灰色の鉄くずが並んでいた。

作業員の一人が、青いシートの荷物を引きずり始めた。

玄関側では、戸田さんの息子が突然うつ伏せに倒れ、両足から後方へ引かれた。誰も彼の身体に触れていない。それでもシャツは肩まで捲れ、爪がコンクリートを削りながら、鉄管の向こうへ運ばれていく。

私は外された横管を拾い、二本の柱の間へ押し込んだ。ボルトを締める余裕はなく、体重をかけて支えただけだった。

景色が一度、大きく震えた。

西側で青いシートが破れ、その中から息子の腕が出た。作業員たちは初めて人間を見たように叫び、手を離した。玄関側では息子の身体が止まり、指先から血が滲んでいた。

だが、戸田さんの姿は戻らなかった。

彼女がいた場所には、白いバケツが三つ積まれていた。どの蓋にも黄色い廃棄シールが貼られ、剥がそうとすると内側から爪で引っかくような振動が伝わった。

息子は泣きながら蓋を開けた。中は空だったが、三つとも人肌ほどに温かく、底には濡れた手形が一つずつ残っていた。指の節や掌の皺は、戸田さんのものと一致した。

工事は中止され、鉄管は以前より太いものへ交換された。それでも戸田さんが戻ることはなかった。夕方になると、玄関横の柱から味噌汁の匂いが漏れ、バケツの内側にだけ湯気が付くという。

私は調査結果を提出しなかった。建物は居住中とも空き家とも記載せず、地図上のその一画だけを空欄にした。それからは、どれほど遠回りになっても、同じ建物を一日に二方向から見ないようにしている。

半年後、私の住む集合住宅で、廊下の配管工事が始まった。

帰宅すると、自室の前に古びた鉄管が一本、斜めに組まれていた。管理会社へ確認しても、そんな足場を設置した記録はない。鉄管には赤錆が厚く浮き、継ぎ目から灰色の髪のような繊維が垂れていた。

廊下の東側から近づけば、私の部屋はいつもどおりだった。だが反対側の階段から上がると、玄関ドアの場所には灰色の物置扉があり、「長期保管品」と書かれた紙が貼られていた。

その翌朝、危険だという理由で鉄管は撤去された。

鏡を見ると、私の胸に黄色い廃棄シールが貼りついていた。剥がすたびに皮膚が薄く剥がれ、その下から青いビニールシートと同じ格子状の繊維が現れた。

廊下の向こうから、台車の車輪が近づいてくる。

玄関の外で誰かが足を止め、「中身は一つだけだな」と言った。もう一人が扉へ工具を当てる音がしたとき、私の背中にある骨が、一本ずつ鉄管のような硬い音を立て始めた。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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