外壁の窓

写真怪談

あの切り通しは、上の道路から見下ろすと、コンクリートの斜面と斜めに渡された点検用の梯子、それに黒く口を開けた坑口しかない。昼は列車の音で気にならないが、線路が静かな時間になると、左側の坑口の前だけ空気が少し鉄臭くなる。最初におかしいと思ったのは、梅雨入り前の乾いた日、坑口の外の壁に、窓ガラスみたいな長方形の乾きがひとつだけ浮いているのを見たときだった。

周りのコンクリートは地下水でまだらに湿っていたのに、その四角だけは妙にきれいで、白く鈍く乾いていた。しかも陽は当たっていないのに、近くの信号柱の金具よりわずかにぬくい。手をかざすと、ガラスのすぐ裏に暖房が入っている車内みたいな、こもった熱が返ってきた。線路は数分前から抑止で、坑内へ入る列車は一本もなかった。

翌日、四角は三つに増えていた。等間隔で並び、あいだに細い縦の濡れ筋が二本落ちていた。通勤電車の窓と、窓のあいだの柱そのものの幅だった。昼を過ぎて一本の普通列車が右の坑口へ吸い込まれた瞬間、遅れて左の壁のほうで、ぶうんと低い震えが鳴った。信号は変わっていないのに、三つの四角の内側がいっせいに白く曇り、すぐに晴れた。誰かが内側から息を吐いたみたいだった。

保線の人間が来て、高圧の水で壁を洗った。汚れだと思ったのだろう。夕方にはたしかに消えたように見えたが、その夜、最後の上りが通り過ぎたあと、洗ったばかりの外壁にまた四角が戻っていた。今度は五つ。しかも端のひとつだけ、中央に丸い吊り革の跡みたいな薄い影が揺れていた。風ではない。斜めの点検梯子も、架線も動いていないのに、その丸だけが車内の揺れ方で左右に振れていた。

その翌週、変電の点検で昼のあいだ送電が落ちた。線路は死んだように静かで、坑口の信号機も黒いままだった。それなのに、正午を少し回ったころ、トンネルの奥からブレーキの焼ける匂いが上がってきた。遅れて、何十人分もの衣服がいっせいに擦れ合う、座席から立ち上がる前のあの乾いたざわめきが、コンクリートの向こうからした。

私は壁を見た。
外壁の四角が、左から順に曇っていった。
窓。
窓。
窓。
そのあいだに、縦長の曇り。
扉だった。

四つ目の窓が白くなったときだけ、曇りの奥に色が混じった。広告の赤ではなかった。人の耳たぶくらいの、鈍い肉色だった。次の瞬間には、すべての窓が透明になり、外壁はただの濡れたコンクリートへ戻っていた。けれど、いちばん端の窓の位置にだけ、内側から五本の指で押したような、油じみた細い筋が残っていた。幅は狭く、子どもの手に近かった。

駅へ問い合わせたが、その時間に左の坑口へ入った列車はないと言われた。そもそも送電を止めていたのだから、入れるはずがない、と。もっともだった。だが、その日以降、雨の翌朝にあの切り通しを見るたび、左の外壁だけが一両ぶん先に乾いている。窓の列、扉の継ぎ目、吊り革の円い曇りまで、毎回少しずつ位置を変えながら。

いまでは、実際の列車が右の坑口へ入るたび、私は左の壁を先に見るようになった。
ときどき、窓のひとつだけが、今の車両にはない古い狭さをしている。
そしてそんな日の夕方には、上の道路のコンクリート欄干に、黒いブレーキ粉で汚れた小さな手形が、外側から五つだけ並んでいる。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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