山あいの地方空港で、連休中だけ案内の手伝いをしていた人から聞いた話です。
五月五日の朝でした。春の大型連休は終わりに近く、帰る人たちで搭乗口も駅の乗り継ぎ口も混み合っていたそうです。土産袋を下げた家族、スーツケースを横に並べる学生、展望デッキから手を振る祖父母らしい人影。どれも、ありふれた朝の風景でした。
ただ、その日だけ、掲示に妙な余白がありました。
定期便は五日と六日、ほとんどが埋まっている。特急も、朝の早い時間帯を除いて満席。そう案内されていたはずなのに、端末で見ると、その「除いて」の部分だけが灰色の帯になっていました。空席でも満席でもなく、選べない。けれど確かに、そこには座席の列があるのだといいます。
最初に違和感を訴えたのは、早朝の便に乗る予定の女性でした。
「席番号がないんです」
差し出された搭乗券には、行き先も時刻も印字されていました。ところが座席欄だけが空白で、そのかわり小さく、ただ一文字。
「除」
案内係は印字の乱れだと思い、窓口で出し直しました。二枚目にも同じ字がありました。三枚目は、紙が出てくる途中で途中から冷たくなり、触れた指の腹に、乾いた灰のような粉がついたそうです。
そのころ、展望デッキでは見送りの人たちが手を振っていました。飛行機はまだ動いていません。にもかかわらず、ガラスの向こうに並んだ人影のうち何人かは、滑走路ではなく、搭乗口の内側へ向かって手を振っていたといいます。
手のひらが、ガラスのこちら側についていました。
係員が近づくと、手形は内側の面に残っていました。子どもの手、大人の手、指輪の跡がある手。どれも濡れておらず、曇ってもいない。ただ、ガラスに触れた部分だけが白く抜け、そこに細かな土産菓子の粉のようなものが付着していたそうです。
やがて早朝の便の搭乗が始まりました。
「朝の早い時間帯を除いて満席」と案内された、その“除かれた”時間帯です。
不思議なことに、搭乗口を通った人の数は合っていました。券も読み取られ、手荷物も預けられ、誰も止められなかった。けれど保安用の小さな通過記録には、人数の欄だけが空白になっていたそうです。乗ったはずの十五人が、通ったことになっていない。
それでも機体の窓には、出発前、確かに十五の顔がありました。
顔はどれもこちらを見ていました。家族へ別れを告げるでもなく、外の景色を見るでもなく、搭乗口のほうだけを見ていたそうです。中の一人が、ゆっくり片手を上げました。それを合図にしたように、展望デッキの人たちも一斉に手を振り返しました。
その時、荷物用のベルトコンベヤーが止まりました。
上に載っていたスーツケースの列の間に、黒い筋が一本、伸びていたといいます。幅は指ほど。長さは二十五センチほど。最初は油汚れに見えたそうです。
けれど覗き込むと、その中に小さな車の列が詰まっていました。
車は動いていませんでした。豆粒ほどの窓の内側に、顔のような白いものがいくつも押しつけられていました。音はしません。ただ、黒い筋の端から端まで、ぎっちりと何かが渋滞しているように見えたそうです。
係員の一人が布で拭き取ろうとしました。すると筋はベルトの上ではなく、布の裏側へ移りました。布を捨てても、今度は床へ。床を拭くと、足元の影へ。影を踏むと、踏んだ人の靴底に、同じ二十五センチの黒い列が貼りついたといいます。
飛行機は予定どおり出ました。
しかし、機体が滑走路へ向かっている間、展望デッキの見送り客は誰も帰りませんでした。離陸しても、空へ消えても、全員がまだ手を振っていたそうです。しかも、見送っていたはずの人影の中に、さきほど搭乗口を通った十五人が混じっていました。
スーツケースを持ったまま。
その日、昼を過ぎるころには、特急も乗り継ぎの列車も混み始めました。窓口では相変わらず「朝の早い時間帯を除いて満席」と案内していましたが、誰もその文言を変えようとしなかったそうです。変えると、端末の空白欄が少し広がるのです。
一文字消すたびに、どこかの座席がひとつ、灰色に沈む。
駅の改札前にも同じ黒い筋が現れました。長さは、やはり二十五センチ。構内放送が流れるたび、筋の中の小さな車列が、ほんの少しだけ前に詰めたといいます。
翌六日の朝、空港の忘れ物窓口に、持ち主不明のスーツケースが一つ届きました。
タグには行き先も名前もありません。ただ、白い紙片にこう印字されていました。
「五月五日 朝の早い時間帯を除く」
中には、土産の菓子箱がいくつも入っていました。どれも未開封でした。けれど箱を振ると、中から菓子ではなく、かすかな拍手のような音がしたそうです。箱のひとつを開けると、中身は空で、底にだけ乾いた手形がありました。
掌紋は十五人分。
それ以来、連休の終わりの朝になると、その地方空港では、展望デッキのガラスを先に拭くことになったそうです。内側についた手形だけは、放っておくと増えるからです。
ただ、拭き取った布をどう処分しているのかは、誰も詳しく話しません。
その布を畳むと、必ず端から二十五センチのところで、かすかに何かが渋滞する音がするそうです。そこに耳を近づけると、遠くの搭乗口から、誰かがまだ朝の便を呼ばれているのが聞こえるのだといいます……そんな話を聞きました。
この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。
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