おはなしのへやに残った返事

ウラシリ怪談

ある夏の終わり、ある町の公共図書館が臨時休館になったそうです。
空調設備が故障し、館内の温度を安全に保てなくなったためでした。夏休みも終わりに近い時期で、返却に来た人や、涼しい館内で本を読もうとしていた親子には、入口で事情を説明して帰ってもらったといいます。
その図書館には、「おはなしのへや」と呼ばれる小さな部屋がありました。床に柔らかなマットが敷かれ、低い本棚に絵本が並び、決まった曜日になると職員やボランティアが子どもたちへ読み聞かせをしていました。

数年前まで、そこへ毎週のように来ていた老婦人がいたそうです。
彼女は読むのが特別うまいわけではありませんでした。登場人物ごとに声を変えることもせず、歌う場面でもほとんど節をつけなかったといいます。
ただ、話が終わると必ず本を閉じ、子どもたちへ、
「これで、おしまいです」
と言いました。
すると子どもたちは、
「はーい」
と返す。
それが、その人の読み聞かせでした。
老婦人は以前の冬から姿を見せなくなっていました。病院へ入ったとだけ聞いていたそうです。
季節が変わったころ、その人が亡くなったことを職員は知りました。家族から連絡があったわけではありません。長く一緒に活動していた別のボランティアが、偶然知らせを聞いたのだといいます。
それでも、「おはなしのへや」は変わりませんでした。本棚には同じ本が並び、マットにも、彼女がいつも座っていた場所だけ少し毛足の潰れた跡が残っていました。

その夏、図書館はしばらく閉まりました。
設備業者が空調を調べ、冷却水を送るポンプを調整したことで運転できるようになり、数日後から一部のサービスが再開されました。
けれど、「おはなしのへや」はまだ使えませんでした。
そのころから、妙なことが起きたそうです。
閉館後、館内を点検していた職員が、廊下の奥から子どもの声を聞きました。
「はーい」
一度だけでした。
声のした先には、「おはなしのへや」があります。扉は閉まっていました。
職員は、外から子どもの声が入り込んだのだろうと思ったそうです。図書館は住宅地にあり、夕方なら道路を歩く親子もいます。
ところが翌日も、同じころに聞こえました。
「はーい」
今度は、部屋のすぐ内側からだったといいます。
扉を開けました。電気の消えた部屋には誰もいません。
ただ、空調だけが静かに動いていました。冷えた風が天井から落ち、本棚の前を通って、床のマットを撫でていました。
その風の中で、一冊だけ絵本が開いていたそうです。
老婦人が最後によく読んでいた本でした。
職員はその本を閉じ、棚へ戻しました。

翌日の夕方。
また、
「はーい」
と聞こえました。
今度は二人分でした。
その次の日は、三人。
声は少しずつ増えていったそうです。
不思議だったのは、それが子どもたちの笑い声や話し声ではなかったことです。いつも、返事だけでした。
「はーい」
少し間を置いて、
「はーい」
誰かが見えないところで、何度も物語を終えているようだったといいます。
職員たちは、そのことをあまり口にしませんでした。空調が止まっていた時期です。館内の音の響き方が変わっていたのかもしれない。設備を再稼働したばかりで、配管やポンプの音が声のように聞こえただけかもしれない。
そういう説明はいくつか出ました。

やがて、「おはなしのへや」も利用を再開することになりました。
最初の読み聞かせには、十人ほどの子どもが集まりました。その中に、五歳くらいの女の子がいました。
始まる前から、部屋の奥ばかり見ていたそうです。
職員が、
「どうしたの?」
と尋ねると、女の子は小さな声で、
「おばあちゃん、あそこに座ってる」
と言いました。
職員は振り返りました。
そこは、亡くなった老婦人がいつも座っていた場所でした。もちろん誰もいません。
女の子の祖母という意味かと思い、
「一緒に来たの?」
と尋ねました。
女の子は首を横に振りました。
「知らないおばあちゃん」
そう答えたそうです。

読み聞かせが始まりました。
何冊か読み、最後に職員が手に取ったのは、あの絵本でした。閉館中に何度も開いていた本です。
偶然だったそうです。棚から順番に選んだだけでした。
読み終え、最後のページを閉じようとした時。
部屋の空調が、ふっと止まりました。
風の音がなくなりました。十人ほどの子どもたちも、なぜか黙っていました。
その静けさの中で、職員は、ごく近くから女の人の声を聞いたそうです。
「これで、おしまいです」
小さな声でした。誰かが囁いたほどの大きさです。
それでも、その場にいた子どもたちは同時に顔を上げました。
そして、
「はーい」
と答えました。
十人分。
そのあと、もうひとつだけ声が続きました。

「はーい」

少し離れた、本棚の前からでした。
例の女の子が、そちらを見て笑ったそうです。
「帰ったよ」
それだけ言いました。

読み聞かせが終わったあと、職員は絵本を片づけました。
その時、透明な保護カバーの内側に、小さな曇りがあることに気づきました。
表面なら、手で触れた跡とも考えられます。けれど曇っているのは、カバーと表紙の間でした。指先で拭くことはできません。
そこには、五本の指がありました。
子どもの手より少し大きく、年老いた人の手よりは細い。
本を閉じる時、表紙へそっと手を添えたような跡だったそうです。
数時間すると曇りは消えました。
けれど、しばらくして同じ本を取り出すと、その手形はまた内側に浮かんでいました。
そして読み終えたあとには、一度だけ、
「はーい」
という返事が聞こえたそうです。

それから、その図書館では、「おはなしのへや」を閉める前に、職員が本棚を確認するようになりました。
誰かが残っていないかを見るためではありません。最後に読まれた絵本が、きちんと閉じられているか確かめるためだといいます。
今でも、ときどき一冊だけ開いていることがあるそうです。
そんな日は職員が黙ってその本を閉じます。そして部屋を出る前に、
「今日は、ここまでです」
と言う人もいるのだとか。
返事があるかどうかは、誰も確かめようとしないそうです……そんな話を聞きました。

この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。

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