傘の内側の雨

写真怪談

あの細い路地は、表の通りから一本入っただけなのに、昼になると妙に音が薄くなる場所だったそうです。
両側の建物が近く、頭上には庇のようなものが渡され、葉の影だけが風より先に揺れる。自転車と室外機と、使い込まれた傘立てが並ぶ、ごくありふれた生活の抜け道でした。

最初に妙だと思われたのは、晴れ続きの四日目の昼でした。
その路地の右手、ある家の玄関脇に立ててあったビニール傘を持ち上げたとき、束ねた内側だけが濡れていたのです。外側は乾いているのに、骨のあいだにだけ細かな水滴が残り、葉を揉み潰したような青臭い匂いがしたといいます。上から漏れた雨なら外側から濡れるはずですし、誰かが使ったにしても、あの陽気ならとっくに乾いていていいはずでした。

その家の人は気味が悪くなって傘を広げ、日に当てて干しました。
ところが翌日の正午、また同じ傘の内側だけがしっとりしていた。しかも今度は、手元から石突へ向かって濡れているのではなく、先端から柄へ向かって湿りが“上がって”いたそうです。水滴には細かな灰色の粉が混じっていて、拭くと壁の古い塗膜みたいなざらつきが指に残ったといいます。

その日から、路地の傘立てで妙なことが続きました。
閉じた傘の内側にだけ湿りが出る家が、一軒、また一軒と増えたのです。色も形も違うのに、濡れる場所は決まって同じで、骨の一本分だけ濃く、筋のように内側へ走る。晴れた昼ほどはっきり出て、夕方には乾く。誰かが悪戯で水を差しているようには見えませんでした。傘立てのまわりに足跡もなく、地面も乾いていたからです。

さらに嫌だったのは、濡れた傘を開くたび、内側の布に薄い葉脈のような筋が増えていくことでした。
本物の葉を押し当てた跡ではなく、もっと細く、人の指の腹で何度も撫でて浮き出たみたいな筋です。五本ずつ、少し曲がりながら束になっている。はじめは一か所だけだったものが、数日で二か所、三か所と増え、ちょうど誰かが傘の内側から手を広げて支えたような位置へ並び始めました。

ある家では、湿りを確かめようとして正午ぴったりに傘を開いたそうです。
その瞬間、路地の空気が一段だけ冷えました。真夏日だったのに、開いた傘の内側からだけ、地下室みたいな湿気が立ちのぼった。骨のあいだを伝う水滴は、落ちずにゆっくり上へ這い、露先の先で粒になって止まったといいます。そしてその透明な粒の向こうに、傘越しの路地では見えていないはずのものが映っていた。頭上の庇より、もうひとつ低い天井。そこから細く垂れる葉と、閉じた傘を何本も逆さに差して歩く、膝から下だけの列。

見間違いだと思って傘を閉じても、異変はそこで終わりませんでした。
翌日には、傘立てに入れていない傘まで内側から湿り始め、室内の廊下へ置いたものにも青臭い匂いが移ったのです。玄関のたたきには、水ではなく灰色の粉を混ぜたような半月形のしみが点々と残り、その間隔は、傘の露先で床を軽く突きながら進んだように揃っていたそうです。しみは毎日ひとつずつ増え、家の奥へ向かっていました。

やがて、その路地では昼に傘を開かない決まりが、口に出されることもなくできました。
晴れていても、誰も確かめなくなった。それでも正午を少し過ぎると、立てた傘の束がごくわずかに擦れ合い、乾いたはずのビニールの内側から、水気を含んだ葉擦れの音がしたといいます。外に葉は揺れていても、音はいつも傘の中から聞こえたそうです。

今でもそこを通ると、玄関脇の透明な傘の内側にだけ、曇りが葉の形に残っている家があるそうです。
雨の日ではなく、よく晴れた昼に限って、その曇りは少しずつ下から上へ伸びる。先月、その家の人が一本処分したところ、翌日には傘立てのいちばん奥に、見覚えのない古い蛇の目傘が一本だけ増えていました。濡れていたのはやはり内側だけで、骨の数だけ、細い指の跡がついていたそうです。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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