その交差点は、昼のほうが怖い。
車の信号は赤で止まり、横断歩道だけが白く光る。人はそれぞれの速さで渡っていく。日傘、鞄、自転車を押す人。右の車線にはバスが停まり、中央には大きく「バス専用」の文字がある。
変だったのは、その「専用」の横に並ぶ黒い補修跡だった。
アスファルトを四角く貼り替えたような跡は、前からあった。だが昼休みに歩道橋から見下ろしていると、信号が赤になるたび、その黒い四角だけが一段低くなる。影ではない。車の下でもない。まるで道路の表面に、薄い乗降口が開いているみたいに見えた。
最初は目の錯覚だと思った。けれど、横断歩道を渡っていた黄色い鞄の人が、その黒い四角の横を通った瞬間、片足だけ歩幅を乱した。転びはしない。ただ、靴音が一回ぶん、遅れて聞こえた。
白線の上で鳴るはずの音が、地面の下から返ってきた。
翌日も見に行くと、黒い四角は昨日より少し前に出ていた。補修跡が動くはずはない。それなのに「バス専用」の「用」の右下が、黒い四角に食われたように欠けている。白い塗料の端は剥がれず、内側から焦げたように黒ずんでいた。
赤信号になる。
停まっていたバスの扉は閉まっている。運転手も前を見ている。だが、路面の黒い四角のあたりから、車内放送の前に鳴るような、短い電子音が一度だけした。
乗る者はいない。
降りる者もいない。
それでも、黒い四角の縁に、濡れた靴跡が二つ増えた。横断歩道の白線へ向かう足跡ではなく、バスの車内へ上がる時のように、縁の内側で途切れている足跡だった。
交通量調査のアルバイトをしていた知人に、その話をした。彼は笑わなかった。その交差点のバスレーンだけ、感応センサーの数字が合わないのだという。
バスが一台しか通っていない時間帯に、記録上は二台になる。
カメラには一台しか映らない。
けれどセンサーは、もう一台ぶんの長さと重さを、毎回きっちり拾っているらしい。時刻は決まって、車の信号が赤になり、歩行者が渡り始める直前の数秒間。誰も動いていないはずの車線だけが、先に通過を済ませている。
三日目、私は下へ降りた。
横断歩道の手前に立つと、上から見ていたより道路は広かった。白線はまぶしく、車は熱を持ち、信号の赤い丸だけが妙に濃い。目の前の「バス専用」はただの塗装に見えた。黒い補修跡も、よくある舗装の継ぎ目にしか見えない。
信号が変わった。
人が流れ出す。
私も渡った。
黒い四角の横を通る瞬間、足元から冷たい風が吹いた。下水の匂いではない。空調の風でもない。朝いちばんの車庫のような、鉄と古いビニールの匂いだった。
そのとき、左足だけが重くなった。
引っ張られたのではない。誰かに掴まれた感じもない。ただ、靴底の下に、もう一枚床がある。道路より少し低いところに、バスの床みたいな黒い面があって、そこへ足が乗りかけている。
私は慌てて踏み出した。
横断歩道を渡りきると、信号はまだ赤だった。背後でバスが発進する音がした。振り返っても、バスは停まったままだった。エンジン音だけが先に、交差点の向こうへ滑っていった。
その日の夕方、靴底に白い塗料が付いているのに気づいた。横断歩道の白線だろうと思ったが、形が違った。
塗料は小さな四角で、角がきれいに揃っていた。剥がそうとしたら、ゴムの中へ沈んでいた。爪では取れない。よく見ると、その四角の真ん中に、細い文字が浮いていた。
「専」
それから、私はあの交差点を避けている。
ただ、バスに乗るたび、乗車口の床が一瞬だけ深く見えることがある。料金箱の横、誰も立っていない足元に、濡れた靴跡が二つある。運転手は気づかない。乗客も見ない。
赤信号で停まると、車内のどこかで短い電子音が鳴る。
その音がした時だけ、私は自分の左足を少し浮かせる。
靴底の小さな四角が、じわりと温かくなるからだ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

