毎咳後の薬

写真怪談

風邪は軽いはずだった。

来週の出張に穴を開けたくなくて、仕事帰りに病院へ寄った。喉を見られ、胸の音を聞かれ、いつもの風邪ですねと言われた。ところが薬局で渡された袋は妙に重く、机に広げると、処方箋と薬袋と銀色のシートでキーボードの前が埋まった。

抗生物質、咳止め、胃薬、解熱剤。どれも白い錠剤で、何が何に効くのか、もうわからなかった。

薬を飲む前に、用法を確認しようとして処方箋を見た。

一日三回、毎食後。

その下に、さっきはなかったはずの行が増えていた。

毎咳後。

印字は薄い青で、薬局のプリンターから普通に出た文字に見えた。笑ってしまいそうになった。咳のせいで目がかすんでいるのだと思い、紙を傾けたが、文字は消えなかった。

ごほ、と一度咳が出た。

その瞬間、中央のシートに入っていた白い錠剤が、一つだけへこんだ。飲んでもいない。アルミの裏も破れていない。なのに透明な膨らみの中で、錠剤だけが半分ほど潰れ、粉のように沈んでいた。

咳は少し楽になった。

嫌な感じがして、薬を一包ずつ数え直した。数は合っている。ただ、潰れた錠剤の裏側に、細い青文字で「済」と浮いていた。印刷ではない。アルミの銀色が内側から擦れて、文字の形にだけ曇っている。

その夜、咳をするたびに薬は減った。

一度目は咳止め。二度目は胃薬。三度目は名前を覚えていない白い錠剤。どれもシートは破れないまま、中身だけが薄くなっていく。飲み込んだ感覚はないのに、喉は楽になった。熱も下がった。身体は軽くなる。かわりに、机の上の薬だけが、少しずつ使用済みになっていく。

怖くなって、咳をこらえた。

すると今度は、薬のシートが膨らみはじめた。錠剤の丸みではない。透明な蓋の内側から、誰かが指先で押しているように、一粒ずつ、ぷくり、ぷくりと盛り上がる。キーボードの隙間に落ちた影まで、白く脈を打っていた。

出張の資料を開くと、予定表の来週の欄に青い「済」が増えていた。

月曜、移動済。
火曜、面談済。
水曜、宿泊済。

まだ一週間前なのに、画面の文字だけが先に終わっていく。予約していた新幹線の座席番号は空欄になり、ホテルの確認メールは件名だけ残して本文が消えた。添付していた資料のファイル名も、ひとつずつ「服用後」に変わっていた。

最後の咳は、明け方に出た。

深く、長く、胸の奥が裏返るような咳だった。机の上で、残っていた錠剤が一斉に白く濁った。シートは破れていない。けれど中身はすべてなくなり、透明な膨らみの内側だけに、湿った息を吹きかけたような曇りが残った。

処方箋の用法欄には、もう「毎食後」も「毎咳後」もなかった。

代わりに、新しい一行が印字されていた。

本人 一週間分

熱は下がった。喉の痛みも消えた。月曜の朝、目が覚めると、出張用の鞄が玄関に置かれていた。使った覚えのないホテルの歯ブラシが入り、折れた名刺が数枚入り、知らない地方の駅名が印字された領収書が入っていた。

けれど本人は、まだ家にいた。

会社には、出張先からメールが届いていたそうだ。文面は短く、添付もない。

「薬は足りました」

机の上には、空のシートだけが残っている。アルミの裏はどこも破れていない。ただ、ひとつひとつの空洞の底に、小さな青い「済」が並んでいる。

その数は、薬の数より一つ多い。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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