閉店十五分前のスーパーで、買い物かごの中だけが、まだ昼のように温かかった。
売り場の照明は白く、惣菜コーナーの奥では片づけの台車が小さく鳴っていた。黒いトレーの刺身、金色のトレーに入った揚げ物、巻き寿司のパック、値札のついたきゅうり。どれにも、黄色と赤の丸い半額シールが貼られている。夜遅くに残ったものを買うだけの、いつもの節約だった。
けれど、かごを持ち上げた瞬間、底の穴から見える床の影が、ゆっくり遅れて揺れた。品物が動いたのではない。影だけが、かごの中で一拍遅れて沈んだ。
揚げ物のパックに指をかけると、ラップ越しに妙な熱があった。作りたての熱ではない。人の手のひらを、長く握っていたあとのような湿った温かさだった。冷ケースに置かれていた刺身のパックまで、同じ温度をしている。
セルフレジでは、バーコードを通すたびに画面が一瞬だけ暗くなった。商品名と値段が出る前に、黒い画面の中央へ白い文字が浮く。
「半額」
ただそれだけだった。機械の不具合だと思って、続けて読み取らせた。二度目も、三度目も、四度目も、同じ文字が先に出た。最後の巻き寿司を通したときだけ、画面の下に小さく、見慣れない表示が出た。
「処理中:一名」
すぐに消えた。店員に声をかけるほどのことではない。支払いは普通に終わり、金額も安かった。袋に詰めると、買い物かごは空になったはずなのに、手を離したあとも、持ち手がしばらく下へ引かれていた。
家に着いて、テーブルに惣菜を並べた。箸を取る前に、違和感に気づいた。
半額シールの貼られている側だけ、食べ物が少ない。
揚げ物は、シールの下の部分だけ潰れていた。衣が欠けたのではなく、肉の厚みそのものが、そこだけ半分になっている。刺身は一切れごとに、左側だけ薄く透けていた。巻き寿司は切り口の海苔が内側へ巻き込まれ、まるで中身が奥へ吸われたように、米の白さが途切れていた。
きゅうりを洗おうとして、さらに気味が悪くなった。袋の中のきゅうりは一本のままなのに、持つと重さが片側にしかない。水を流しても、濡れるのは右半分だけだった。左半分には水滴が乗らず、表面が古い紙のように乾いている。
その夜、惣菜にはほとんど手をつけなかった。全部まとめて冷蔵庫に入れ、寝ようとした。布団に入ると、身体の左側だけが、すうっと軽かった。軽いというより、そこに自分の重みがない。寝返りを打つたび、畳に触れているのは右肩と右腰だけで、左側は少し浮いているようだった。
翌朝、冷蔵庫を開けると、パックはすべて空だった。食べ散らかされた跡はない。ラップも破れていない。容器の中には、半額シールだけが内側から貼り直されていた。
シールの赤い丸の中に、細かい数字が浮いていた。値段ではなかった。時刻だった。
23:48
23:49
23:50
23:51
昨夜、商品をかごへ入れた順番と同じだった。
最後の巻き寿司の容器だけ、時刻の下に小さな文字があった。
「残り半分は店内保管」
その日から、その人は夜のスーパーに行けなくなったという。行くつもりがなくても、二十三時を過ぎると、電子マネーのアプリに決済通知だけが届く。金額はいつも半分。商品名は空欄。利用店舗は、あのスーパー。
そして通知が来たあとは必ず、左手の指先に、ラップを剥がしたあとの糊のような感触が残る。
今でも店の閉店間際、惣菜売り場のかご置き場には、誰も使っていない買い物かごが一つだけ残ることがある。中には何も入っていない。ただ、底の穴のひとつに、半額シールが内側からぴったり貼りついている。
剥がそうとすると、シールの下から、まだ温かい皮膚のようなものが少しだけ持ち上がるそうだ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

