土日しか開かないつけ麺屋があった。
平日はシャッターが閉じられたままで、店の前を通る会社員たちは、そこをただの空き店舗のように扱っていた。
だが土曜の朝だけは違う。
開店一時間前から列ができる。
理由は単純だった。旨いからだ。
少なくとも、みんなそう思っていた。
異変が起きたのは、ある梅雨前の土曜日だった。
朝七時過ぎ。
最初の客が店の前に立ったとき、まだ信号は赤のままだった。
交差点には通勤の人影がまばらにあり、電動キックボードが歩道脇に止められていた。
そのとき、閉じたシャッターに描かれた赤い「33」の落書きを見て、並んでいた客の一人が笑った。
「店名と同じじゃん」
誰も気にしなかった。
その数字は以前からあったからだ。
ところが、八時を過ぎても店主が来なかった。
暖簾も出ない。
列だけが伸びていく。
やがて先頭にいた男が妙なことを言い始めた。
「……一人多くないですか」
列を数えると、三十二人だった。
それは問題ない。
だが彼は首を振った。
「いや、さっきから三十三人いるんです」
誰かが冗談だと思って笑った。
しかし何度数えても人数が合わない。
前から数えると三十二人。
後ろから数えると三十三人。
途中から数えても、どこかで必ず一人増える。
誰もその増えた一人を指差せなかった。
それでも数だけが合わなかった。
九時近くになると、不思議な現象が起き始めた。
信号が赤になるたび、シャッターの「33」が少しだけ滲む。
塗料が流れるように見えるのだ。
だが青信号になると元に戻る。
最初は気のせいだと思われた。
ところが何度目かの赤信号のとき、数字の下に細い縦線が現れた。
「33」
ではなく、
「33|」
のように見えた。
誰かがスマートフォンで撮影した。
青信号になっても、その縦線だけは消えなかった。
さらに次の赤信号。
今度はもう一本。
「33Ⅱ」
のような形になる。
そしてまた一本。
信号が変わるたびに増えていく。
店の前の空気は妙に静かだった。
交差点なのに、車の音が遠い。
列の客たちはいつの間にか誰も話さなくなっていた。
そのとき、最後尾にいた女性が声を上げた。
「並んでる人、増えてません?」
振り返る。
確かにいた。
列の一番後ろ。
スーツ姿の男が立っている。
誰もその男が並んだ瞬間を見ていなかった。
だが次の赤信号で、さらに一人。
その次でまた一人。
増えた人々は無言だった。
誰もスマホを見ない。
誰とも目を合わせない。
ただ店だけを見ている。
九時半。
シャッターの数字はもう「33」ではなかった。
無数の縦線が絡み合い、人の列のような模様になっていた。
そしてようやく店主が現れた。
だが店主は列を見た瞬間、顔色を変えた。
鍵を差し込む手が震えていた。
「今日は休みです」
誰かが抗議した。
しかし店主は首を振った。
「三十三人を超えたので駄目です」
意味が分からなかった。
店主はそれ以上説明せず、再び立ち去ろうとした。
そのときだった。
列の後方から、人が歩き始めた。
増え続けていた無言の客たちだ。
一人、また一人。
列から外れ、赤信号の横断歩道へ向かう。
信号はまだ赤だった。
それでも止まらない。
まるで見えない店内へ入っていくように、交差点の中央へ歩いていく。
車は来ない。
歩行者もいない。
誰も彼らを避けない。
存在していないかのようだった。
やがて最後の一人が消えると、街の音が戻った。
電線の唸り。
エンジン音。
遠くの工事音。
すべてが一度に聞こえ始めた。
店主は誰にも説明しなかった。
その日、店は営業しなかった。
後日、常連の一人が酒の席で聞いた話によると、その店の場所には昔、立ち食い屋台があったらしい。
昭和の終わり頃、土曜の朝だけ営業していた店だった。
ある雨の日、客が三十三人並んだ朝に事故が起きた。
交差点へ突っ込んだトラックが列をなぎ倒したという。
死者数は記録によって違う。
三十二人という資料もあれば、三十三人という資料もある。
ただ共通していることが一つだけあった。
誰も最後の一人の名前を知らなかった。
今でも土曜の早朝、開店前の店を撮影すると、閉じたシャッターに赤い数字が浮かぶことがある。
写真によっては「33」。
写真によっては「34」。
そしてごく稀に、数字の後ろへ縦に並ぶ人影のような線が写る。
その本数を数えてはいけない。
数え終わった瞬間、自分が列の何番目だったのか思い出してしまうからだ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

