昼休みに抜け道として使っていた細い路地だった。
ビルと住宅の隙間を抜けるだけの、なんでもない道だ。頭上には電線が絡まり、晴れていても薄暗い。最初は、そのビルの壁に描かれた鳥の顔を「気味が悪いな」と思っただけだった。
赤い目をした、落書きの鳥。
だが、ある日から違和感が始まった。
最初は視線だった。
路地を歩いていると、頭上から見下ろされている気がする。気のせいだと思っても、鳥の目だけがやけに生々しい。描いた人間が、瞳孔にだけ妙な光沢を残しているせいかもしれなかった。
その翌週、同僚が変なことを言った。
「この辺、夕方になると鳥の鳴き声すごくない?」
自分は聞いたことがなかった。だがその日、残業帰りに路地へ入った瞬間、頭上から濡れたような鳴き声が落ちてきた。
カァ、ではない。
キィ、と潰れた笛みたいな音だった。
見上げても鳥はいない。電線だけが揺れている。
そのとき、壁の鳥の口元に黒い筋が増えているのに気づいた。
ヒビかと思った。
けれど翌日には、その筋がもっと増えていた。まるで嘴の端が裂けているみたいに。
誰かが描き足したのだろう。
そう考えたが、同僚は首を振った。
「最初からあったよ、あれ」
だが、絶対に違った。
自分は毎日ここを通っていたのだ。
増えている。
そう確信したのは、三日後だった。
路地に入ると、鳥の顔がこちらを向いていた。
いや、正確には――角度が変わっていた。
最初は正面を向いていたはずなのに、少し斜めになっている。赤い目の片方だけが、路地の入口を覗くように寄っているのだ。
その日から、路地に入るたびに耳鳴りがした。
電線の束が風もないのに軋み、視界の端で何か黒いものが横切る。
だが振り返っても、いない。
ある夜、雨上がりにそこを通った。
濡れたアスファルトに、水たまりができていた。
何気なく足元を見る。
水面に映った鳥の顔が、壁のものと違っていた。
目が四つあった。
しかも、そのうち二つは閉じたり開いたりしていた。
反射の歪みではない。
瞬きをしていた。
息を呑んだ瞬間、頭上で例の鳴き声が響いた。
キィィィ――。
見上げた。
壁の鳥の嘴が、少し開いていた。
塗料の割れ目ではなかった。
暗い口の奥に、人間の歯みたいな白い並びが見えた。
逃げようとしたとき、背後でバサバサと音がした。
振り返る。
誰もいない。
だが、路地の入口を塞ぐように、電線へ大量の黒い羽が引っかかっていた。
濡れて、べったりと。
その日以来、自分はあの道を通っていない。
けれど先月、別部署へ異動した元同僚から写真が送られてきた。
「お前の言ってた鳥、これ?」
添付されていたのは、昼間の路地だった。
だが壁には、鳥の顔など描かれていない。
ただ白い壁があるだけだ。
代わりに、写真いっぱいに黒い電線が走っていて、その隙間に無数の赤い点が写っていた。
拡大して気づいた。
全部、目だった。
しかも、そのうちの一つだけが、こちらを向いていた。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

