門のない郭

写真怪談

二枚の画像は、同じ場所を写していると言われても、すぐには信じられないものだった。

一枚目は、現在の街角である。広い車道がゆるく右へ曲がり、道路の中央にはオレンジ色の線が引かれている。左側には新聞社の縦看板があり、その手前に「30」と書かれた丸い速度標識が立っている。低いビル、電柱、電線、白い車。どこにでもある都市の生活道路にしか見えない。

もう一枚は、古い絵葉書だった。実際には旧地名が刷られていたが、ここでは伏せる。かつてこの一帯には、塀と堀で外から切り分けられた遊興の区画があった。門をくぐる者は、外の名前や家の顔をいったん置いていく。門の内側では、夜の値段で時間が流れ、人の名も、帰る場所も、少しずつ薄くなった。

その絵葉書には、金色の大きな門が道をまたいでいた。柳の枝が垂れ、木造の店が並び、車夫や着物姿の人影が小さく描かれている。華やかと言うには紙の色が古すぎて、懐かしいと言うには、そこにいた人たちの気配が湿りすぎていた。

知人は、その二枚を画面上で重ねてみたという。

古い絵葉書の金色の門は、現在写真の道路の曲がりはじめにぴたりと合った。門柱が立っていたはずの場所には、今は普通の歩道と車道しかない。だが、オレンジ色のセンターラインだけが、門をくぐったあとに内側へ吸い込まれる道筋のように曲がっていた。

その重ね合わせを見ているうちに、知人は妙なことに気づいた。

現在写真の空が、ざらついていた。

最初は画像のノイズだと思った。ところが拡大すると、そのざらつきはデジタルの乱れではなかった。古い絵葉書にある色刷りの粒、つまり細かな赤や青や黄の点が、現在の曇った空の中に混じっていたのだ。しかもそれは、古い絵葉書の門の輪郭に沿うように、うっすら弧を描いていた。

知人は翌日の夕方、現地へ行った。

写真で見たとおりの街角だった。左には新聞社の看板。手前には速度制限の標識。車道はゆるく曲がり、建物の間から薄い空が見える。金色の門など、もちろんない。昔、その先に人を飲み込むための区画があったとは思えないほど、そこは明るく乾いた通りだった。

それでも、標識の下まで来たとき、空気が変わった。

音が遠くなったわけではない。車も自転車も通っている。人の足音も聞こえる。けれど、すべての音が少しだけ紙越しに聞こえた。耳の中に、古い絵葉書を指でこすったような、乾いたざらつきが残ったという。

道路の向こう側に、細い金色の線が現れた。

夕日ではなかった。電線でも、窓の反射でもなかった。建物と建物のあいだ、ちょうど古い絵葉書で門の上部があった高さに、金色の弧が浮かんでいた。光っているのではない。印刷されている。空気の表面に、失われた門だけが薄く転写されたように、荒い色の粒でできていた。

知人が一歩近づくと、道の向こうを歩く人たちの輪郭がずれた。

本人の体は普通に進んでいる。だが、その背後に一拍遅れて、淡い人影だけが残る。髪、肩、鞄、靴。残像は現代の服装のままなのに、色だけが古い絵葉書の着物のように薄く塗られていった。誰も気づいていない。誰も立ち止まらない。ただ、門のない場所を通るたび、人の輪郭だけが古い紙の上へ吸われていく。

知人は怖くなって引き返そうとした。

しかし、足元の舗装が変わっていた。

さっきまで黒いアスファルトだった道路の端に、細かな色の粒が浮いている。赤、青、黄、くすんだ緑。踏むとざらりとした。砂ではない。塗料でもない。古い絵葉書を拡大したときに見える印刷の網点が、道路のひび割れに入り込んでいた。

背後で、紙を差し込む音がした。

大きな門が閉まる音ではない。木戸でもない。アルバムの台紙に写真を滑り込ませるときの、あの薄い紙のこすれる音だった。

振り返ると、新聞社の縦看板の文字が裏返っていた。

建物は現在のままなのに、看板の文字だけが鏡文字になっている。まるで自分が、写真を見る側ではなく、写真の内側から外を見ているみたいだった。速度標識の「30」も、丸い赤い縁だけを残して、数字がにじみはじめていた。

白い車が通り過ぎた。

車体は現代のものだった。だがタイヤの音だけが違った。舗装を転がるゴムの音ではなく、木の輪が石畳を噛むような、からから、という乾いた音だった。その音が過ぎたあと、道路の中央に人力車の車輪の跡のような細い円弧が残った。すぐ消えると思ったが、跡は消えなかった。オレンジ色の線の内側に、金粉のような点となって残った。

角が遠かった。

ほんの十数メートルのはずなのに、歩くほど道が伸びる。低いビルの壁の上に、木造の軒が透ける。閉じたシャッターの表面に、見知らぬ屋号のような文字が一瞬だけ浮く。読もうとすると消える。だが、その消え方が文字ではなく、誰かの名前を拭き取る手つきに似ていた。

知人は走った。

角を抜けた途端、音が戻った。

車の音。自転車のブレーキ。誰かの咳払い。知人は息を切らして、もう一度振り返った。そこには普通の街角があるだけだった。門はない。金色の弧もない。新聞社の看板も、標識も、元どおり読めた。

家へ戻ってから、知人は二枚の画像を確認した。

現在写真には、やはり門など写っていなかった。ただ、空の明るい部分に、前より濃く色の粒が散っていた。道路の中央のオレンジ色の線の内側にも、金粉のような点が細く残っている。そこだけ、現代の写真ではなく、古い絵葉書の印刷面を貼り合わせたように見えた。

もっとおかしかったのは、古い絵葉書のほうだった。

金色の門の右端、木造の店が並ぶあたりに、縦長の黒い看板が小さく増えていた。文字は潰れて読めない。だが、その黒い四角の並び方は、現在写真にあった新聞社の看板によく似ていた。

知人はそれ以来、二枚を重ねて見ていない。

ただ、あの旧遊郭跡の近くを通ると、今でも足元だけを見てしまうという。道路の曲がり方が、どうしても門の内側へ続く道に見えるからだ。

夕方になると、あの場所の空は少しざらつく。

速度標識の赤い輪の中に、ほんの一瞬、金色の門の上端が印刷されることがある。

そしてその下をくぐった人の輪郭だけが、現代の街に戻るのを少し遅れる。

まるで、門がなくなったのではなく、門のほうがこちらを絵葉書に挟み続けているみたいに。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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