遠く離れた身内が亡くなったころ、その人の姿を見た。
声を聞いた。
あるいは、誰もいない部屋で「来た」とだけ分かった。
こういう話には、ずいぶん昔から名前がつけられています。
19世紀の心霊研究では、遠方にいる人が死亡したり生命の危機にあったりする時刻の前後に、その人の姿を見る体験を「crisis apparition――危機幻視」と呼んで調べていました。とくに興味深いのは、体験した時点では死を知らず、後になって手紙や電報が届き、時刻の一致を知ったという報告が集められていたことです。(tandfonline.com)
さらに19世紀末には、410人の協力者を使い、およそ17,000人に「起きている時、そこに存在しない人や声などを、実在するように感じた経験があるか」という趣旨の質問を行った大規模な調査もありました。
その中から、体験した人物の死と時刻的に重なる350件が抽出され、当時の研究者たちは、偶然だけで生じる件数よりはるかに多いと計算しました。もちろん、これは19世紀の調査です。その数字が魂の存在を証明した、という話ではありません。むしろ重要なのは、百年以上前の人々も、この妙な「時刻の重なり」を気にしていたということなのでしょう。(pmc.ncbi.nlm.nih.gov)
現代では、死別した人が故人の姿、声、気配などを感じる体験そのものは、心理学や精神医学、文化人類学から研究されています。そして、それが必ずしも異常なこととして扱われるわけではありません。故人の存在を感じる経験は、文化によって「自然なもの」「慰めになるもの」「警戒すべきもの」と、受け止められ方まで変わるそうです。(pmc.ncbi.nlm.nih.gov)
ですから、「亡くなった人が会いに来る」という話には、少なくとも二つの見方があります。
死別した側の心が、その人の姿をもう一度つくる。
もうひとつは――本当に、向こうから来る。
研究は、前者について多くを語れます。
けれど後者については、確かめる方法がありません。
……ここで、ひとつ妙なのは。
こうした話に出てくる故人が、必ずしも「さようなら」を言うわけではないことです。
ある人は、遠方で暮らしていた母親を、亡くなった日の明け方に見たそうです。
母親は部屋の入口に立っていました。
透けてもいない。
白い服でもない。
実家にいたころと同じ、古いカーディガンを着ていたそうです。
そして息子の顔を見るでもなく、椅子に掛けてあったワイシャツを指して、
「そこ、取れそうよ」
とだけ言ったといいます。
見ると、袖口のボタンが糸一本でぶら下がっていました。
息子がシャツへ目をやり、もう一度入口を見ると、母親はいませんでした。
夢だったのだろうと思ったそうです。
その日の午前中、実家から電話が来ました。
母親は、明け方に亡くなっていました。
ここまでなら、おそらく17,000人に尋ねた、あの古い調査の質問にも収まります。
「死の時刻と、幻視が偶然重なった」
そう記録することもできるでしょう。
ただ、その人が数日後、葬儀へ向かうために例のワイシャツを取り出した時。
袖口のボタンは、もうぶら下がっていなかったそうです。
きちんと縫いつけられていました。
淡い青色の糸で、三度ずつ糸を渡して。
母親が昔からやっていた縫い方だったといいます。
その部屋には裁縫道具がありませんでした。
本人にも、縫った記憶はありません。
だからといって、それを「魂が来た証拠」と呼ぶことはできません。
記憶違いかもしれない。
最初から縫われていたのかもしれない。
悲しみの中で、出来事の順番を取り違えたのかもしれない。
研究というものは、そういう可能性をひとつずつ残しておくものです。
けれど怪談は、その先に残った小さなものを見ます。
なぜ、別れの言葉ではなかったのでしょう。
なぜ「ありがとう」でも、「元気で」でもなかったのでしょう。
どうして最後に気にしたのが、取れかけたボタンだったのでしょう。
もしかすると、亡くなった人が会いに来るという話を、こちら側は少し大げさに考えすぎているのかもしれません。
魂が千里を越えるほどのことが起きても。
会いたかった人を目の前にしても。
その人は、その人のままなのかもしれません。
息子は、そのシャツを今も捨てていないそうです。
青い糸も切っていません。
ただ、一度だけ不思議に思って、実家に残された裁縫箱を開いたことがあったといいます。
中には、母親が使っていた糸巻きがいくつもありました。
赤、白、黒、紺。
けれど――
淡い青色だけは、空の糸巻きがひとつ残っていました。
いつ使い切ったものなのかは、誰にも分かりません。
ですから、その糸がどこから来たのかも、もう確かめられないそうです。
17,000人に尋ねても。
17,001人目に尋ねても。
たぶん、その問いだけは同じところに残ります。
もし、あなたの大切な人が遠くへ行く時。
最後に会いに来てくれるのだとしたら。
その人は、本当に「さようなら」を言うでしょうか。
それとも――いつものように、あなたの襟を直したり、消し忘れた灯りを消したり、取れかけたボタンをひとつ縫ったりして。
何も言わずに帰ってしまうのかもしれません。
その痕跡だけを、こちら側に残して……。
この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。
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