菊が焼けるまで

晩酌怪談

焼き鳥を頼んで、先にホッピーとマグロブツを出してもらった。

カウンターの窓際はまだ明るく、木の卓上に瓶の茶色い影が落ちていた。ジョッキの氷は白く曇り、刺身の鉢にはマグロの赤、わさびの緑、それから飾りの小さな黄色い菊がひとつ載っていた。

最初におかしいと思ったのは、その菊が揺れたことだった。

扇風機も空調も、そちらには風を送っていない。けれど菊の花びらだけが、焼き場の方へ、一本ずつ寝ていく。まるで耳を澄ませているようだった。

焼き鳥はまだ来ない。

ホッピーを継ぎ足して、マグロをひと切れ醤油につけた。口に入れた瞬間、刺身の冷たさの奥から、焦げた串の匂いがした。まだ焼き場から煙は上がっていない。注文してから五分も経っていないはずなのに、舌の上だけが、焼き鳥を食べ終えた後みたいに苦かった。

鉢を見ると、菊の花びらが一枚減っていた。

箸で触っていない。皿の縁にも、醤油の中にも落ちていない。ただ、黄色い欠け目だけが花の片側にできていた。

次にジョッキを持ち上げたとき、底の氷の脇に、細い黄色いものが沈んでいた。菊の花びらだった。入れた覚えはない。氷に貼りついたそれは、水の中なのに乾いて見え、端だけが黒く焦げていた。

店員に「焼き鳥、まだですよね」と聞くと、焼き場の奥から「いま炭を起こしてます」と返ってきた。

その声を聞いた途端、鉢の菊がまた揺れた。

今度は二枚、三枚と花びらが倒れ、マグロの表面に貼りついていく。貼りついた場所だけ、赤身の色が薄くなった。生の魚ではなく、火を通した肉の断面みたいに、白く濁っていく。

怖くなって箸を置いた。

その瞬間、卓上の醤油皿に丸い波紋が立った。誰も触っていないのに、醤油の中央から小さな気泡が上がる。ぷつ、ぷつ、と泡が割れるたび、焼き鳥の皮が焼けるような匂いが強くなった。

やっと焼き鳥が来た。

皿の上には、ねぎまと皮が二本ずつ。焦げ目も塩の振り方も普通だった。ただ、串の根元に、黄色い花びらが一枚ずつ刺さっていた。飾りではない。肉と肉の間に、火で縮んだような形で挟まっている。

店員は見えていないらしく、「熱いので気をつけて」とだけ言って行った。

一本目を持ち上げると、串の下の皿に小さな黒い跡が残った。花びらの形だった。二本目も同じ。三本目も同じ。食べる前から、皿の上に焼け跡だけが増えていく。

私は焼き鳥を残して会計した。

店を出る前に、何気なく振り返った。カウンターの上には、飲みかけのジョッキと、ホッピーの瓶と、マグロの鉢がまだ残っていた。

鉢の黄色い菊は、花びらを全部失くしていた。

その代わり、白い芯だけがこちらを向いていた。人の歯の奥にある、噛み潰された骨のような色だった。

帰り道、口の中に何か挟まっている気がして、舌で探った。奥歯の隙間から、薄いものが一枚取れた。

黄色い花びらだった。

焦げてもいないのに、指先でつまむと、炭の匂いがした。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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