閉店後の七夕飾りは、昼間よりも字が近く見える。
その商業施設の吹き抜けには、青いパネルで「短冊に願いごとを書こう」と出ていて、人工の笹に色とりどりの短冊が吊られていた。黄色い照明、黒い輪のような装飾、緑の葉。昼間は子ども連れや若い客が笑いながら通り過ぎ、白や水色や桃色の紙に、将来のこと、推しのライブのこと、健康のことを書いていく。
撤去前夜、私は巡回のついでに、足元へ落ちた短冊を拾った。オレンジ色の細い紙で、太い字で「楽しく生きる」と書かれていた。穴に通された黒い紐は切れていない。ほどけてもいない。ただ、紙のほうが笹から外れていた。
それを枝へ戻そうとしたとき、指先がぬるりとした。インクが乾いていなかった。ずいぶん前から吊られていたはずなのに、最後の「る」のあたりだけが、書きたてのように湿っている。
目を離したのは、一瞬だった。
戻したはずの短冊には、もう「楽しく生きる」とは書かれていなかった。
「楽しく生きた」
たった一字、変わっていた。「る」がほどけて、「た」になっている。上から書き足したような跡はない。紙の繊維そのものが、その形に濡れて沈んでいた。
翌朝、同じ笹の周りに、短冊が何枚か落ちていた。白い短冊の「これから先も楽しいことがたくさんありますように」は、「これまでに楽しいことがたくさんありました」に変わっていた。水色の短冊に書かれていた「卒業」の二文字だけは、妙に濃くなり、紙の裏まで染みていた。
その日の夕方から、笹の近くを通る人が少しずつ立ち止まるようになった。願いごとを読むためではない。自分が何をしに来たのか、そこで思い出せなくなるのだ。買い物袋を提げた女性が、急に笑って「もう済んだ気がする」と言った。子どもが、まだ書いていない短冊を見て泣き出した。紙には何も書かれていなかったのに、黒い紐だけが小さく震えていた。
閉店後、私は撤去の作業に入った。笹から短冊を外し、色ごとに袋へ分ける。願いごとは読まない決まりだった。けれど、紙を重ねるたび、指の腹に、誰かの筆圧が残る。ペン先が紙を押したくぼみではない。書いた本人が、書いたあとで少しだけ削られたような、浅いへこみだった。
オレンジの短冊は、一番奥にあった。
吊るした場所は変わっていない。なのに穴が増えていた。上に一つ、下に一つ。下の穴には何も通っていない。そこだけ紙が黒く、丸く、焼け焦げたように縁取られている。
文字はまた変わっていた。
「楽しく生きた人」
その下に、小さく、知らない名前が書かれていた。
社員名簿を開いて探したが、該当する人はいない。アルバイトにも、清掃にも、警備にもいない。ほっとしたのも束の間、名簿の最後のページに、空白の行が一つ増えているのに気づいた。部署も連絡先も空欄。ただ、備考欄に「七夕催事終了」とだけ印字されていた。
翌朝、笹は撤去された。
吹き抜けは元どおりになり、青いパネルも外され、黄色い照明だけがいつもの売り場を照らしていた。けれど、柱の裏に黒い紐が一本残っていた。どこにも結ばれていない。天井から垂れているわけでもない。空中の一点から、まっすぐ下へ下がっている。
紐の先には、短冊がなかった。
ただ、紙を吊っていたはずの穴だけが残っていた。空気に、丸く。
そこへ指を近づけると、皮膚が少し吸われた。紙の穴ではないのに、縁がある。見えない短冊の輪郭が、指先にざらつく。私は慌てて手を引いた。爪の下に、オレンジ色の紙粉が詰まっていた。
それから一週間、事務所のプリンターが勝手に短冊の幅の紙を吐き出すようになった。印刷されるのは、いつも過去形の願いだった。
会えました。
治りました。
受かりました。
楽しかった。
生きました。
最後の一枚だけ、印字ではなく手書きだった。
「もう吊るしました」
その夜、退勤しようとして社員証を首から外すと、カードの上部に穴が一つ増えていた。もともとのストラップ穴とは別に、黒くて小さな穴が、顔写真の喉元に開いている。
穴の縁には、細い黒い紐が通っていた。
引き抜こうとすると、喉の奥がきゅっと締まった。痛みはない。ただ、自分の中の何かが、紙みたいに薄く伸ばされていく感覚があった。
今もその施設では、七夕の時期になると短冊の台が出る。
青いパネルの文字は変わっていない。
「短冊に願いごとを書こう」
けれど、開店前に飾りを確認すると、必ず一枚だけ、誰も書いていないはずの短冊が混じっている。色は決まってオレンジ。黒い紐は最初から濡れていて、紙の下のほうに、余分な穴が一つある。
そこにはまだ文字がない。
ただ、指で触れると、書かれる前の願いが、もう過去のものとして乾き始めている。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

