ホームセンターのペットショップは、園芸売り場の土の匂いと、熱帯魚コーナーの湿った空気が混ざっていた。
透明な衣装ケースのような水槽に、ニホンイシガメが数匹いた。浅い水、格子状の底、浮島みたいな甲羅干しの台。上から吊られた保温球の光だけが、昼間なのに小さな月みたいに水面へ落ちている。
値札には、ニホンイシガメ、税込七九八〇円、と青い字で書かれていた。
高いな、と思って覗き込んだとき、水槽の底にいた一匹がこちらを見た。いや、見たように思えた。目ではない。甲羅の縁に残った濡れた光が、まぶたの開閉みたいに細く動いた。
台の上には三匹いた。台の下に一匹。手前の水中に一匹。
数えると五匹なのに、値札の横の小さな管理札には「在庫四」とあった。見間違いだろうと瞬きすると、台の下の影が少し濃くなって、一匹ぶんの輪郭だけが水に溶けた。
その場を離れるとき、背中のほうで、こつ、と硬い音がした。甲羅がプラスチックに当たる音ではなかった。もっと薄いものが、水槽の内側から爪で弾かれたような音だった。
その日は何も買わなかった。レジを通したのは、洗剤と電池だけだった。
ところが家に帰って袋を開けると、レシートのいちばん下に見覚えのない一行が増えていた。
ニホンイシガメ ¥7,980
お預かり中
合計金額は変わっていない。店員が入れ間違えたのだと思った。けれど、レシートのその部分だけがしっとり濡れていて、指で触ると、紙の奥から青いインクが水草の匂いを立てた。
翌朝、洗面台に薄い水が張っていた。蛇口は閉まっている。排水口の周りに、小さな甲羅の跡が四つ、半円を描いて並んでいた。
五つ目だけがなかった。
代わりに鏡の下、歯ブラシ立ての影の中に、格子状の濡れ跡があった。あの水槽の底と同じ目の粗さだった。指で拭くと、皮膚の表面に細い線が移り、手の甲が甲羅の節みたいに割れて見えた。痛みはない。ただ、その線の内側だけが冷たかった。
その夜から、風呂場の電気を消しても、浴槽の水面に丸い光が浮くようになった。保温球の反射に似ている。天井には何もない。浴室暖房も切れている。それなのに光は消えず、湯気の下でじっと揺れた。
光の中を、黒い小さな影が横切る。
一匹、二匹、三匹、四匹。
いつも四匹まで数えたところで、水面が静かになる。だが排水口の奥から、こつ、と遅れて音がする。五匹目が、まだ見えない場所で向きを変えているような音だった。
三日後、もう一度そのホームセンターへ行った。
水槽の値札は同じだった。ニホンイシガメ、七九八〇円。管理札は「在庫三」に変わっていた。台の上には三匹。台の下は空っぽ。手前の水にも、何もいない。
ただ、水槽の右奥の透明な壁に、内側から押しつけたような濡れた手形があった。
人の手ではない。五本の指の代わりに、甲羅の縁みたいな短い弧がいくつも重なっている。その中央に、青いインクで数字が浮かんでいた。
七九八〇。
帰ろうとしたとき、店員に声をかけられた。
「お預かりの子、今日お持ち帰りになりますか」
振り返ると、店員の手には小さな紙袋があった。中から水音はしない。生き物の気配もない。ただ、袋の底だけが、ゆっくりと重く沈んでいた。
断ったはずなのに、帰宅すると玄関にその紙袋が置いてあった。
袋の口は閉じている。中は空だった。けれど底の内側に、甲羅の濡れ跡がひとつ残っていた。
そして今でも、手の甲を水で濡らすと、格子状の線が浮かぶ。
その線の奥で、ときどき何かがまばたきする。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

