山中を走る高速道の下に、そこだけ四角く空が抜けている場所がある。
高架と擁壁の隙間をふさぐように金網が張られていて、下から見上げると、青空が全部ひし形に刻まれている。落石防止だとか、上から物が落ちないようにだとか、理由はいくつか聞いたが、本当のところは知らない。
道路補修の下請けをしていた知人は、夏前の点検でそこへ入った。
昼間なのに、高架の腹の下だけは湿っていた。左手には草が絡み、右手には錆びた配管が伸びている。見上げると、金網には古い容器がいくつも引っかかっていた。空き缶のようなもの、色の抜けたペットボトルのようなもの、茶色く潰れた小瓶のようなもの。
「上から投げ込まれたんですかね」
同行していた先輩にそう言うと、先輩は短く首を振った。
「あれ、取るなよ」
理由を聞いても、先輩は答えなかった。ただ、足早に擁壁沿いの亀裂を確認し、写真も撮らず、早く戻ろうとした。
最初の異変は、そのとき起きた。
頭上で、カチ、と音がした。
車が通った音ではない。石が跳ねた音でもない。金網に引っかかっていた透明な容器の中で、何かが内側から叩いた音だった。
見上げると、その容器だけがゆっくり回っていた。風はない。周囲の草も揺れていない。なのに、容器は金網のひし形に沿って、少しずつ向きを変えている。中は空のはずなのに、底のほうに黒い小さな粒があり、それが重力に逆らって、上のキャップ側へ転がっていった。
「見るな」
先輩が言った。
声が近すぎた。すぐ隣にいるのに、耳の内側から聞こえたみたいだった。
知人は慌てて目を逸らした。その瞬間、足もとの砂利が数粒、パラパラと浮いた。
落ちたのではない。
浮いた。
靴の先にあった小石が、見えない糸で吊られたようにふわりと持ち上がり、頭上の金網へ向かった。小石は網目に当たって止まるはずだった。ところが、網をすり抜けるみたいにそのひし形の中へ吸い込まれ、青空に溶けた。
そこでようやく、知人は気づいた。
金網に引っかかっているのは、上から落ちた物ではない。
下から持っていかれた物だ。
先輩に腕を掴まれ、その場を離れようとしたとき、背中が急に軽くなった。体の芯だけが抜かれて、皮膚と作業服だけがその場に残るような感覚だったという。踏ん張ろうとしても、足裏の重さが薄い。靴底が地面を押していない。
そのとき、金網の中央にある茶色い容器の口が、こちらを向いた。
空っぽのはずの口の奥に、明るいものが見えた。
空ではなかった。
ひし形に区切られた青の中に、舗装道路と、白いガードレールと、上を走る車の腹が逆さまに映っていた。知人たちのいる場所からは見えるはずのない、高架の上の景色だった。
次の瞬間、容器の口から、白い粉のようなものがこぼれた。
粉は落ちてこない。空中で止まったまま、ゆっくり広がり、ひし形の網目をなぞるように薄い膜になった。その膜の向こうで、誰かの指先らしき影が、内側から金網を押していた。
先輩が知人の襟首を掴んで、ほとんど引きずるように外へ出した。
高架下を抜けると、一気に体が重くなり、膝から崩れた。振り返ると、さっきまで青かった金網の一角だけが、湿った灰色に曇っていた。
その日の点検記録には、「落下物なし」と書いた。
ただし知人の首筋には、細いひし形の痕が残った。金網に押しつけた覚えはない。そもそも、頭上の網に触れられる高さではなかった。
数日後、別班が同じ場所へ入った。
戻ってきたのは三人のうち二人だった。
ひとりは、先に車へ戻ったのだと思われていた。けれど車内にも、資材置き場にも、休憩所にもいない。携帯は圏外ではなく、呼び出し音だけが続いた。捜索はされたが、山中にも、高架上にも、痕跡は見つからなかった。
唯一残っていたのは、金網に新しく引っかかった緑色のボトルだった。
前の日までは、なかったものだという。
そのボトルの中には、水も土も入っていなかった。ただ、内側の曇りが、作業用ヘルメットの顎紐みたいな形で、細く一周していた。
そして、ボトルの底には小さく、黒い粒がひとつ貼りついていた。
知人はそれ以来、あの高架下に近づいていない。
ただ、雨の日になると、首筋のひし形の痕が冷たくなる。鏡で見ると、痕の一つひとつが少しずつ上へずれているように見えるらしい。皮膚の上を移動しているのではない。
体の中から、頭上へ向かって押されている。
最近、彼は寝るときに布団の四隅へ本を置くようになった。重しのつもりだという。
けれど朝になると、その本はいつも枕元へ寄っている。
四冊とも、角が金網のひし形と同じ角度に折れている。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

