停車位置

写真怪談

近所の畑道を抜けると、閉業したガソリンスタンドの裏手に出る。
白く色の抜けた建物の脇に、格子のはまった小さな窓が一つある。赤いトタン小屋の屋根越しにその窓がちょうど見える場所があって、晴れた日の午後、そこを通ったときだけ、室内に人が立っているのが見えた。

黒い人影だった。
顔はわからない。ただ、胸の前で片手を上げている。昔の店員が車を止めるときみたいに、「そこです」と合図する形だった。
閉業して何年も経つのに妙だと思って見直すと、格子のすぐ向こうに額があるくらい近い。なのに、ガラスに鼻息の曇りはなく、まぶた一つ動かない。

翌日も、その翌日もいた。
陽の向きは変わるのに、影の濃さだけが同じだった。
近所の人に話すと、不法侵入かもしれないということになって、土地の管理を任されている人が裏口を開けた。

中はとっくに片付いていた。
机も椅子もなく、油の抜けたような乾いた匂いと、配管を外した跡だけが残っている。
そして、あの小窓の内側には壁があった。
正確には、ポンプ設備を外したあとに増設された鉄板張りの仕切りで、ガラスから奥まで二十センチもない。人が立てる空間ではない。
その鉄板の、ちょうど人の顔の高さにだけ、丸くくもった擦れがあり、その下に五本の黒い指の跡が縦に並んでいた。外から押しつけたのでは届かない位置だった。

気味が悪かったが、そこで終わりではなかった。
その夜、寝室の窓の外で、昔の給油機の音みたいな小さな電子音がした。
ピッ、と鳴って、少し間を置いて、満タンになったときの「カチン」という乾いた止まり方が続く。
カーテンを開けると、庭には誰もいない。けれど窓ガラスの内側だけが、人ひとり分の形を残して曇っていた。こちらを向いて立っていたものが、さっきまでそこにいたみたいに。

翌朝、窓の鍵の下に、爪でこすったような細い黒ずみが一本ついていた。
触ると煤ではなく、指先にぬるい油膜のような感触が残った。鼻を近づけると、古いガソリンの匂いがした。

私はもう一度、あのスタンドの裏へ行った。
小窓に人影はなかった。
代わりに、建物の中の埃の上に、黒い足跡が一列だけついていた。
窓の前から裏口へ向かっている。出ていく向きだ。
しかも足跡は、日向に出たところで消えていた。薄くなったのではない。切り取ったみたいに、そこで終わっていた。

その月の終わりに、閉業スタンドは解体された。
白い建物も、赤いトタン小屋も、窓もなくなった。
更地になったのを見て、やっと終わったと思った。

でも、違った。

いま私の寝室の窓には、夜になると、いつも同じ位置に人影が見える。
ガラスに額がつくほど近く、胸の前で片手を上げたまま、少しも動かない。
昔、車を停める店員が合図するときのように、「そこです」と示す高さと角度で、毎晩きっちり同じ場所に立っている。

最初は、窓の外に立っているのだと思っていた。
けれど先週、部屋の明かりを消したガラスに映ったそれを見て、ようやく気づいた。

あれは窓の向こうではなく、私の部屋の中に立っている。

ガラスに映っていた私は、カーテンの手前にいた。
あれだけが、いつも窓と私のあいだにいる。
そして毎朝、床には一本、見覚えのない黒い線が少しずつ伸びている。
給油レーンの停止線みたいに、まっすぐ、私の布団のほうへ。

私はまだ、その線をまたいでいない。
あの片手は招いているんじゃない。
次に“中へ入る”のが、私の番だと知らせているだけだ。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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