夜の住宅地は、音が一つ漏れるだけで形になる。
買い物帰り、いつもの路地を曲がると、白い外灯が雨上がりの壁を濡らしていた。左手の家の前では、折りたたみ式の門が半分だけ閉じ、骨のような格子が呼吸みたいにわずかに揺れている。
「こんな時間に風?」と思ったとき、金属がかち、と自分の歩幅に合わせて鳴った。
次の一歩、またかち。まるで足音の位置を測ってくるように。
背中が冷え、早足になる。外灯の下だけが白く、奥へ伸びる細い道は濡れた紙の切れ目みたいに暗い。
折りたたみ門の影が路面に伸びた。影は本来、鉄と同じ形でなければならないのに、一本多い。影の格子の一本が、こちらの足首と同じ位置に、ぴたりと寄り添って動く。
「ついてくるのか?」と振り向くと、門は静止していた。ただ、骨と骨の間に、人の肩に見える丸みが、折り目の角度に合わせて薄く挟まっている。肩は紙のように平たく、格子の幅に合わせて“たたまれて”いた。
その肩が、するり、と抜けた。
格子の影から離れたそれは、壁の継ぎ目に沿って、昆虫のように薄いからだを伸ばした。肘も膝も、あり得ない方向に折れて、外灯の明滅に合わせて形を変える。
「すみません」
道路のマナーみたいな声で、それは言った。
「ここ、通り道なので。あなたの可動域、少し借ります」
次の瞬間、足が勝手に畳まれた。
膝の裏に誰かの手を当てられたみたいに、自然な折れ方なのに、歩幅が半分に減る。息を呑む間に、肘も、肩も、ぎし、と角度を失っていく。人の体は意外と折れる。折りたたみ式の人間にするのは、そんなに難しくないのだと知る。
私は壁に手をついた。右の手首だけは辛うじて動く。マンホールの縁に触れた指に、冷たい水の気配が集まる。
「返してください」
かすれ声で言うと、異形は首を一枚の板のように横向きにし、見えない目を細めた。
「返しますよ。通れれば」
それは、私の関節を一つずつ開き直した。たたまれたパンタグラフが伸び、関節の隙間に空気が戻る感覚。最初から何もなかったみたいに、私の腕は戻る――ただし、歩幅だけは、彼らの寸法で固定された。
通り過ぎざま、異形は門に収まり、また骨と骨の間に肩を差し入れた。外灯がちらりと明るくなる。一本多かった影は、ふつうの数に戻る。
その夜から、家の中でも歩幅が変だ。居間へ向かう狭い廊下で、無意識に“彼らの折り目”に合わせて歩いてしまう。
妻が言う。「最近、歩き方が静かでいいね」
たぶん、その静かさは、あの路地の規格の静けさだ。
昨日、近所の回覧板にメモが挟まっていた。
《折りたたみ門の開閉音が深夜にします。誰かいじっていますか?》
私はペンを取り、いつもの歩幅で、いつもの音で、メモを折り畳んだ。格子の幅に合わせて、きれいに、三つに。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。



