写真怪談

晩酌怪談

赤提灯の下で笑う影

夜の繁華街を歩いていると、赤提灯の列が異様に目を引いた。その灯りは温かくも見えるが、どこか血のように濃く、近づくほどに胸がざわつく。ある居酒屋の前、提灯の影に妙なものが映っていた。通り過ぎる人々の姿ではない。痩せた腕のような影が、提灯から伸び、通りを行く人の背中を撫でる。気づかれた瞬間、その影はすっと引っ込み、再び紙の灯りに吸い込まれていった。奇妙なのは、通りを歩く客の笑い声だった。影に触れられた...
写真怪談

立入禁止の遷し守(うつしもり)

安全担当だった先輩が教えてくれた。「うちの現場に一本だけ、廃棄できない看板がある。撤去日に必ず“次の工区”へ手配されるやつだ」理由は経費でも再利用でもない。その看板は、貼り出した瞬間から周囲の“境界”を吸い集める。関係者とそれ以外、内と外、許可と不許可——人が毎秒無意識に引いている線が、反射材の網目に絡みとられてゆく。日が暮れると、区画は不自然なまでに“区切れて”しまう。人同士の会話がところどころ...
写真怪談

消えた担ぎ手

夏祭りの熱気に包まれた商店街を、神輿が揺れながら進んでいた。肩を寄せ合い、掛け声を響かせる人々。その群れの中に、一人だけ顔の見えない男が混じっていた。背中には「護」の字が染め抜かれた法被。だがその字は他の布より黒く沈んで、まるで墨がまだ乾いていないかのように滲んでいた。担ぎ手たちは互いに肩を組みながら進んでいたのに、その男の隣だけは不自然な隙間が空き、誰の肩にも触れていなかった。それでも神輿は揺れ...
晩酌怪談

座るはずのない客 ― カウンターの常連

唐揚げをつまみ、ビールを飲み、何気なく撮った一枚。仕事帰りのありふれた光景のはずだった。だが写真を見返すと、卓上に奇妙な「濡れた手の跡」が浮かんでいた。油染みでも水滴でもない。人間の掌の形をした痕が、唐揚げの皿にかぶさるように残っている。気味が悪くなり、店主に尋ねた。「この席、何かあったんですか?」店主は一瞬口ごもり、灰皿を拭きながら言った。「……知ってる人は知ってるんですがね。ここ、ひとりで飲ん...
写真怪談

夏を終わらせない街

高層マンションのベランダから街を見下ろしていた。真夏の青空、建物の屋根に照りつける陽光。眩しいはずの光景なのに、なぜか視線が離せなかった。そこに広がっている街並みは、確かに自分が暮らしてきた場所だった。だが、あるはずのスーパーの看板がない。友人の住むアパートが一階分多くなっている。幼いころ遊んだ駄菓子屋が角に見えるのに、そんな店はもう二十年前に無くなっていたはずだった。汗ばむ手でベランダの手すりを...
写真怪談

片道切符の白昼夢

八月の終わり、蒸し暑い駅構内で私は切符を買おうとしていた。緑色の機械の前に立つと、背後のざわめきが一瞬、すっと消えた。耳鳴りのような静寂の中、液晶画面に映ったのは、目的地の一覧ではなく、見覚えのない「夏の日」という行き先だった。冗談かと思い、もう一度ボタンを押す。だが画面は変わらない。「夏の日──片道切符」ふざけた表示のはずなのに、なぜか胸の奥をつかまれるように惹かれて、私は購入を押してしまった。...
写真怪談

両替機の裏口

深夜の駅構内、人気のないロッカー横に一台の両替機が佇んでいた。旅先で小銭を必要とした青年は、迷わず千円札を差し込む。機械は規則正しく唸り、硬貨が落ちるはずの口から──何も出てこなかった。不審に思いながらも覗き込むと、空洞の奥にもう一枚の札が見えた。拾おうと指を伸ばした瞬間、隙間が吸い込むように広がり、青年は腕ごと引き込まれた。気がつくと彼は、同じ駅構内に立っていた。だが照明は古び、壁に貼られたポス...
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止まらないエスカレーター

その駅のエスカレーターには、奇妙な特徴がある。乗れば必ず下に降りていくはずなのに、いつまでも地上階にたどり着かない、という。初めて体験したのは、会社帰りの夜だった。疲れていたせいか、足が勝手にそのエスカレーターに吸い寄せられるように乗ってしまった。動き出した段階では確かに「下へ向かっている」と思った。だが、数段降りても景色は変わらない。壁の色も、横にある注意書きも、ずっと同じ場所にあるように見える...
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喰声の鯱

この街に残る古い瓦屋根には、必ず黒い鯱しゃちほこが据えられている。それは「火除け」と呼ばれてきたが、本当は——人を喰らわせるためのものだった。江戸の頃、度重なる火事で町は焼け落ち、住民たちは「火の神」を鎮めようと生贄を差し出した。選ばれた者は屋根の鯱に向かって立たされ、その声を一滴残らず吸い尽くされるのだという。声を奪われた者は、呻き声すら出せぬまま干からび、やがて鯱の口に呑み込まれた。いまもその...
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呼び続ける緑の受話器

駅の地下通路に置かれた二台の公衆電話。鮮やかな緑色のその筐体は、今やほとんど誰も振り向かない。しかし、深夜零時を過ぎると、必ず片方の受話器が持ち上がっている。誰も触れていないのに、受話口からかすかな呼吸音が漏れ、耳を近づけると低い声が呟くという。「……こちらに来て」ある駅員が興味本位で耳を当てた。するともう片方の電話が突然鳴り、間髪入れずに応答してしまった。二つの受話器を結ぶようにして、どちらから...
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連鎖する物音

駅の地下通路に、灰色のカプセルが並んでいた。コワーキングスペースとして普及してから数年、もはや日常の一部でしかない光景だ。彼もまた、そこを通り過ぎようとした。だが、二番目のカプセルの前で足が止まった。――コツ、コツ、コツ……。中から微かな音が漏れていた。完全防音を売りにしているはずなのに。耳を寄せると、それは何か硬いもので机を叩くような乾いた響きだった。奇妙に思い、隣のカプセルに目を向けた。すると...
写真怪談

苔むす隙間から覗くもの

庭の隅に積み上げられた古いブロック。雨に打たれ、苔に覆われ、誰も気にも留めなくなったその塊を、ある夜ふと見てしまった。――苔の奥で、何かが瞬いた。まるで目のように、じっとこちらを窺っていたのだ。翌日、確かめようと近づいてみると、ブロックの隙間から湿った空気が吐き出されるのを感じた。耳を近づけると、小さな声が重なり合って囁いていた。「……重い……暗い……冷たい……」昔、この家の前にあった古井戸を塞ぐ...
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排熱の下で息をするもの

雑居ビルの裏手。昼間はただの退屈な景色──自転車、カラーコーン、並んだ室外機。だが、この場所を深夜に通る人は少ない。なぜなら、室外機から出る温風が「規則的すぎる」からだ。ブォオオ、と吹き出す音と風の間隔が、どの機械もぴたりと揃っている。まるでそこに、ひとつの大きな肺が埋め込まれているかのように。近所の配達員は、それを「ビルが呼吸してる」と笑い話にした。しかしある晩、荷物を置こうと階段下に足を踏み入...
写真怪談

赤い月を結ぶ指

その夜、ふと見上げた月は血のように赤く、電線に縫い止められているように見えた。不思議と視線を逸らせず、じっと見続けているうちに気づいた。電線が震えている。風のせいだと思ったが、夜気は凪いでいた。よく見ると、一本の線の結び目に、白く細い指が絡まっている。指はぎこちなく動き、月を線に引き寄せるように引っ張っていた。それは人間の腕の長さでは届かない高さだった。だが確かに、そこに指がある。やがて月が少しず...
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草に隠れた三番線

夏草に覆われた無人駅。ホームの番号札「3」だけが、今もまっすぐ立っている。だが、この駅に三番線は存在しない。線路は二本しかなく、地図にも三番線の記録はないのだ。夕暮れ時、旅人がその「3」の標識を見上げていると、不意に風景が歪んだ。草がざわめき、そこに見たことのない線路が一本現れる。まるで草の中に隠されていたかのように、暗く湿った鉄の軌道がのびていた。その線路の奥から、足音が近づいてくる。列車ではな...
写真怪談

器の底に沈む影

昼下がり、赤いカウンターに置かれたラーメン。湯気の立ち上るその姿に、私は妙な既視感を覚えた。スープをすくうと、表面に浮かぶ油膜が人影のように揺れる。偶然だと思いながら麺を持ち上げた瞬間、空気がざわりと震えた。麺は口に運んでも減らなかった。何度すすっても、同じ量が器の中に戻っている。食べ進めるほどに、むしろ具材が増えていく。チャーシューは重なり合い、メンマは束になり、やがて器の縁から溢れそうになる。...
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風鈴の底に閉じ込められた夏

澄んだ音に耳を澄ませた瞬間、季節そのものが閉じ込められていることに気づいてしまう。
写真怪談

傘の下に沈む声

商店街の細い路地を歩くと、頭上に無数の和傘が吊るされていた。赤や桃色、薄紫の布地が重なり、光を柔らかく遮っている。まるで花の海に潜っていくようで、訪れる人々は皆、思わず足を止めて見上げるという。だが、地元ではこの飾り付けにまつわる話を誰もしたがらない。ある夜、傘の下を歩いていた若者が、不意に足を止めた。耳元に、傘の内側から声がしたのだ。「わたしを見つけて」最初は気のせいかと思った。だが一歩進むたび...