海の調査船に持ち帰られた三十四分の記録には、珍しいマッコウクジラの出産が収められていたそうです。上空の映像、水中の音、甲板からの写真。現場には十一頭いて、成獣の雌が十頭、少し離れて若い雄が一頭。ふだん別の群れとして離れているもの同士が、その時だけ円をつくり、子は一分もしないうちに水面へ押し上げられたといいます。ただ、その「最初の呼吸」だけが、どうしても映像より先に聞こえていたそうです。
波形を見直すと、その吸う音は水しぶきではなく、水中マイクを吊った深さより、もう少し下から立ち上がっていました。生まれたばかりの子が、まだ水面へ届く前に、すでに一度だけ息をしている。何度合わせ直しても、その一点だけは変わらなかったそうです。むしろ記録表の時刻だけが、一分ぶん早く書き換わっていったといいます……。
写真には、別のものも残っていたそうです。大きな雌たちが交代で子を支える場面だけ、腹の下に薄い白色の帯が見えるのです。波頭にしては平たく、背にしては節が多い。どの個体にも属していないのに、その帯が現れた瞬間だけ、子は決まって軽く持ち上がっている。ふつうなら見落とす程度の白さですが、連続で並べると、まるで水面のすぐ下に、もうひとつ細長い体が横たわっていたみたいに見えたそうです。
記録では、出産の最中と、もう一つの群れが近づいた時に鳴き声の調子が変わった、と整理されていました。けれど最後の数分だけ、説明がつかなかったそうです。群れは出産のあと、いつもの小さな単位へ散っていくのに、水面の一点だけが沈まず、甲板の明かりを受けて細長く濡れたまま、しばらく船と同じ速さで並んでいたといいます。背中も尾も見えないのに、その下だけが海の色にならなかったそうです。
陸へ戻ってから、撮影機材を乾かしていた白いトレーに、毎朝、丸い濡れ跡が残るようになりました。大きいものが十個、少し細いものが一個、それとは別に、ひどく小さな輪が一個。拭けば消えるのに、翌朝にはまた同じ数だけ戻っている。位置もほとんど変わらないのに、いちばん小さい輪だけが、日ごとに少しずつ高いところへずれていったそうです。最初はトレーの縁、次は棚板、その次は壁の白い塗装の上へ……まるで、誰かがまだ水面へ持ち上げ続けているみたいに。
最後に残された甲板写真には、もう群れが遠く離れたあとの海しか写っていません。けれど拡大すると、何もいないはずの水面の少し下にだけ、あの白い帯が、まだ真っ直ぐ残っているのだそうです。その真上の小さな波紋だけが、一分おきに、静かにひらく……そんな話を聞きました。
この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。
When a sperm whale gives birth, the mother gets help from her friends
reuters.com
