三月の初め、花粉の話題が続く頃です。天気の記事に「窓を全開にして一時間換気すると、3LDKの住まい一戸に、およそ一千万個もの花粉が流入した」という実験の話が出ていたそうです。だから窓は十センチ程度、レースのカーテンを掛けると、全開に比べて四分の一に減らせる――そんな対策が並んでいたといいます。
その記事を読んだ人が、高層階の集合住宅で同じことを始めたそうです。窓は十センチだけ開け、レースを引いたまま、一時間。帰宅後はうがいと洗顔、髪も洗う。雨の翌日以降や、暖かい日が二、三日続いた後は特に注意――その言葉も頭に残っていたといいます。
最初に“見えた”のは、雨上がりの翌日だったそうです。窓を十センチ開けてしばらくすると、レースの向こう側に、人影のような濃い影が浮いた。肩から上だけが、布に近い位置で立っているように見えたといいます。
高層階です。外に足場はない。隣の建物も距離がある。ベランダ側を見回しても、当然、誰もいない。それでも影だけが、レースの目に引っかかったみたいに残っていたそうです。
不思議なことに、窓を全開にすると、その影は消えたといいます。風が通って、布が大きく揺れると、ただのカーテンに戻る。けれど、また十センチに戻した瞬間、影は“同じ場所”に戻ったそうです。窓枠の内側、十センチの隙間にぴたりと合わせるように。
影は、人の形をしているのに、全部は見えなかったといいます。見えるのは、四分の一だけ。顔の右上だけが、布越しに“そこにある”ように濃く、残りの三分の四は最初から存在しないみたいに薄い。隠れているのではなく、欠けている。欠けたまま、影だけが覗こうとしている――そう見えたそうです。
その日から、換気が怖くなった人もいたそうです。それでも、窓を開けないで過ごすのも難しい。だから十センチだけ、レースを引いて、一時間だけ――同じことを繰り返したといいます。
何度目かの夜、窓は閉めたはずなのに、金具が「かち」と鳴ったそうです。あの、十センチで止める時の音。起き上がって見ると、窓が本当に十センチだけ開いていたといいます。レースは揺れていないのに、布の同じ一角だけが、誰かの呼吸に合わせてふくらんだり、しぼんだりしていたそうです。
ふくらむたび、布が窓枠へ吸い寄せられました。十センチの隙間に、布が“入りたがっている”ように。そこへ、四分の一の影が近づき、目の高さだけがはっきりしたといいます。目というより、目の“位置”だけ。そこだけが布の網目を無視して、湿った点になり、こちらを見上げたそうです。
声はしなかったといいます。代わりに、レースの表面に、細い筋が増えた。指先で触れたみたいな筋。翌朝、日差しが当たると、その筋は薄い黄ばみになって残っていたそうです。花粉の汚れ、と言えばそれまでですが、形が不自然だった。
黄ばみは、四分の一の顔の形をしていたといいます。額の角、眉の端、目の周りだけ。洗っても落ちない。干しても薄くならない。布の繊維の奥に、最初から染まっていたみたいに残る。
そして、換気をするたびに、黄ばみが“増えた”そうです。次は左上、その次は右下、最後に左下。四回目の一時間が終わった頃、レースの中央に、ひとつの顔が揃ったといいます。目は二つになったのに、表情が整わない。瞳の位置が、こちらの動きに合わせて微妙にずれる。カーテンを閉めているのに、向こう側に立っているのではなく、こちら側の室内から窓を見ているように。
怖くなって、レースを外し、厚手のカーテンに替えた人もいたそうです。けれど、十センチの金具は残る。夜中に「かち」と鳴る癖も残る。厚手の布の表面に、あの“四分割の黄ばみ”だけが、ゆっくり浮いてくるようになったといいます。
花粉のピークは十日間から一か月ほど、と記事にはあったそうです。だから、そのうち終わるはずだ、と。
ただ、その部屋では、季節が過ぎても窓の金具が十センチで止まるたび、布のどこかが一瞬ふくらむそうです。息をするみたいに。誰が息をしているのかは、確かめる人がいないそうです……そんな話を聞きました。
この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。
3月1日も九州~関東でスギ花粉が大量飛散 3月中旬にかけて広範囲でピーク
3月1日も九州~関東でスギ花粉が大量飛散 3月中旬にかけて広範囲でピーク(気象予報士 青山 亜紀子)今日3月1日(日)も九州から関東を中心に、スギ花粉が大量に飛ぶでしょう。飛散のピークは3月中旬にかけて続く所が多く、万全の対策が必要です。

