影が戻る門

写真怪談

冬の放課後、都内の住宅地にある高等学校の正門前で、一本の木がいつもより静かに見えた。
剪定された太い枝の切り口が空に突き出し、細い小枝は芽を固く閉じたまま、電線の横を刺すように伸びている。
その一角に、ヒヨドリが止まっていた。黒い尾を枝に沿わせ、風に羽毛を整えもせず、ただ門の方角だけを見下ろしている。

生徒たちが下校していく。
制服の群れは、門の外で一度ほどけ、住宅地の角でまた糸のように束ねられて、駅の方へ消える。
笑い声や自転車のベルは、電線に触れてひと呼吸遅れて届く気がした。金属が冷え切っているせいだ、と誰もが思う程度の、些細な違和感。

最初に気づいたのは、門番代わりの警備員だった。
彼は毎日、同じ時間に同じ木を見る癖がある。癖というより、確認だ。見慣れた風景が、今日も昨日の延長線上にあるかどうか。
その日、ヒヨドリの目が、やけに光って見えた。
光の点の中に、門の外の景色が小さく映るはずなのに――そこに、もうひとつ「門」があった。

校門と同じ形、同じ錠前、同じ位置。
ただし向こう側が違う。夕方の校庭ではない。廊下のような、長い影の通路が続いている。
通路の壁には掲示物が貼られているのに文字が読めない。紙の白さだけが残り、内容が削られたように、ただの「枠」になっている。

警備員が瞬きをした瞬間、ヒヨドリは目を細めた。
その動作が、まるでシャッターを切る前の合図のように見えて、胸の奥が冷えた。

翌日から、変なことが起きた。
下校する生徒の数が、毎日きっちり合わない。
「今日は二年が早帰りだから」「部活の遠征でいないんだろ」――理由はいくらでもつく。だが、理由を言った本人が、次の瞬間にはそれを忘れる。
名簿はある。出席も取っている。なのに“足りない”という感覚だけが、指先に残る。

そして、ヒヨドリは毎日同じ枝に止まっていた。
同じ角度、同じ高さ、同じ目線。
下校の流れを、遠くから眺めるように――いや、眺め“させる”ように。

決定的だったのは、ある金曜日だ。
門を出ていく生徒の列の中に、白い息を吐きながら歩く一年生がいた。小柄で、鞄にキーホルダーをぶら下げている。
その子がふと立ち止まり、枝のヒヨドリを見上げた。
目が合った――そう思った瞬間、彼女の足元の影だけが、門の外へではなく、校内へ引き返した。

影は校門の内側へ、ひとりで歩いていく。
本人の体は門の外に立ったままなのに、影だけが反対方向へ伸び、校舎の方へ吸い込まれていく。
影が消えたあと、彼女は一歩踏み出した。何事もなかったように、友達の後ろへ混ざり、住宅地の角へ消えた。
誰も騒がない。彼女自身も、影を失ったことに気づいていない。

その夜、学校の監視カメラの記録が、妙に短かった。
映像は確かに回っている。だが、下校の時間帯だけが、ところどころ途切れている。
途切れの直前、必ず写るものがあった。校門前の木の枝先――そして、止まって動かないヒヨドリ。

映像が途切れる瞬間、空を横切る電線が、一本だけ増えて見える。
増えた線は黒く太く、揺れず、影だけが地面に落ちる。
その影は、生徒の影とは違う向きに伸びる。校内へ、校内へ、と。

翌週の月曜日、警備員は門の横で、落とし物を拾った。
小さなキーホルダー。金具が冷たく、裏側に細い擦り傷が何本も走っている。まるで、長い廊下の壁に引きずられたような傷だ。
持ち主を探そうとして、彼は名簿を開いた。
そこには確かに“同じ名字”が載っている。しかし名前の欄だけが、空白だった。
空白の周囲だけ、紙が薄くなっている。消しゴムではない。最初からそこに書かれていなかったような、きれいな空き方。

彼は思わず門前の木を見上げた。
ヒヨドリが、いつも通り止まっている。
その目の中に、また「もうひとつの門」が映っていた。
通路の壁に、掲示物が増えている。白い枠がずらりと並ぶ中に、ひとつだけ新しい枠がある。
そこに、金具の光る何かがぶら下がっていた。キーホルダーだ。
通路の向こうで、誰かが落としたものを拾い上げるように、見えない手がそれを揺らした。

ヒヨドリは羽を震わせ、枝を一度だけ踏み替えた。
その動きに合わせて、電線が低く唸った。冬の乾いた空気が、線の音をよく通す。
唸りは校門の錠前の中に入り込み、金属の奥で何かを「数える」ように反響した。

その日から、門の鍵が、夕方になると妙に重い。
閉めたはずなのに、もう一度だけ“閉まる音”がする。
誰も触っていないのに、内側から押し当てられるように、カチリと。

ヒヨドリは、放課後を見ているのではない。
放課後を、切り取っている。
下校する生徒の影を、電線に掛けて、もうひとつの門へ吊るしていく。
名前が空白になるたび、掲示物の枠がひとつ増える。
そして誰も、その空白を不自然だと思えなくなる。

冬が終わっても、木の芽はなかなか開かない。
ただ一枝だけ、ヒヨドリの止まる枝の先に、小さな芽がふくらんだ。
その芽は春の色ではなく、夕方の校門の錠前と同じ、鈍い金属色をしていた。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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