造園会社の資材置き場は、いつも同じ匂いがした。濡れた土、刈り草の青さ、石の粉の乾いた甘さ。搬入がある日は機械の音がして、ない日は枝が擦れる音だけが残る。
端の一角だけ、空気が違う場所がある。輪切りの石や石臼みたいなものが積まれ、石灯籠が混じり、苔と枯れ葉が挟まった“仮置き”の島。その一番上に、カエルの石像が鎮座していた。妙に口が大きくて、笑っているようにも、飲み込む前にも見える。
その前に、人の石像が二体あった。ひとつは、うずくまって頭を抱えるような姿。もうひとつは、座って両腕で胸を抱え込む姿。資材として置くには不自然で、飾りとして置くには、あまりにも、身を守る形をしていた。
在庫の帳面には「人型」なんて項目はない。先輩は「どっかの庭から引き上げたやつだろ」と言って、扱いを避けるみたいにそこへ近づかなかった。置き場の端は、誰も長居しない。理由は、わからないままでも成り立つ類いの“了解”だった。
その日、私は棚卸しのために早朝から一人で歩き回っていた。空が白む直前、葉の上に露が乗り、石はまだ夜の冷たさを溜めている。例の一角に来ると、足元の枯れ葉がやけに寄せられて、地面が筋のように露出していた。まるで、何か重いものが引きずられた跡。
私は自分の靴裏を見た。泥は付いていない。周囲を見ても、車のタイヤ痕もない。なのに、筋はカエル像の台座から始まって、うずくまる石像の足元で消えていた。
気持ち悪さを誤魔化すように、私は白いチョークで石像の台座の周りに円を描いた。動いたなら、線が崩れる。単純な確認だ。石は石だ、動くわけがない。そう言い聞かせて、午前の作業を続けた。
昼過ぎ、雨がぱらついた。置き場の石は黒く締まり、苔の緑が濃くなる。戻ってきたとき、チョークの円が、ところどころ薄く滲んでいた。雨のせいだと思った。けれど、滲み方が妙だった。水滴が落ちたような円形ではない。指の腹でこすったみたいに、線が横へ引き延ばされている。
うずくまる石像の背中は、濡れていた。雨が当たったのなら、全体が均等に湿るはずなのに、背筋に沿って一本だけ濃い筋がある。汗の跡みたいに。
私は無意識に、石像の背へ手を伸ばした。触れた瞬間、掌がひやりと吸われた。石の冷たさじゃない。冷蔵庫の壁に触れたときの、皮膚の熱を奪う“吸い込み”だった。指を離すと、掌に細かい石粉が付いていた。まるで、皮膚が擦られたみたいに。
その晩、置き場の門は閉めた。誰も入れない。私は帰り際に、例の一角だけを振り返った。カエル像は、相変わらず高いところから見下ろしていた。笑っているような口の縁に、濡れた苔が光っていた。
翌朝、私は真っ先にそこへ行った。
チョークの円は、はっきりと崩れていた。線の一部が欠け、別の場所に粉が寄っている。粉は、台座の縁から下へ落ちたのではなく、地面を這うように伸びていた。白い筋が、うずくまる石像の膝下へ向かっている。
そして、地面に残っていた。細い半月形の連なりが、二列。人の足跡ではない。靴底でもない。もっと小さく、爪のように割れている。カエルの指先を押し付けたみたいな跡だった。
私は背筋が粟立った。冗談みたいに、ぴたりと一致する。跡はカエル像の台座から始まっていた。カエルが、降りてきたように見えた。
その日の昼、先輩に見せようと写真を撮ろうとして、私はやめた。ここで何かを“記録”にすると、それが本当に起こったことになってしまいそうで怖かった。代わりに、私は石の小さな丸い置き物をひとつ、うずくまる石像の頭上の平らな石の上に置いた。右奥の大きな石の上にあるのと同じような、資材の丸石だ。動いたなら、落ちる。単純な確認だ。
夕方、戻ると、その丸石は落ちていなかった。代わりに、位置が変わっていた。数センチ、前へ。まるで、石像が少しだけ顔を上げるのを助けたような位置。
抱え込む石像の腕の内側に、枯れ葉が挟まっていた。朝にはなかった。指で引き抜くと、葉は湿っていて、土の匂いではなく、池の底みたいな匂いがした。
私はその匂いに覚えがあった。カエルの匂いだ。子どもの頃、側溝の蓋をめくって捕まえたときの、ぬめりと泥の混ざった匂い。
夜中、家で目が覚めた。耳の奥で、硬いものが擦れる音がした。ぎり、ぎり、と。夢のようで、現実のようで、部屋の壁の向こうから聞こえるようでもあった。私は布団の中で息を止めた。音は、しばらくして止んだ。
翌朝、置き場に行くと、枯れ葉の筋が増えていた。地面の露出が、昨夜より長い。カエルの指先みたいな跡が、二列どころではなく、網の目のように広がっている。どれも、台座から始まっていた。
うずくまる石像の足元の平たい石に、浅い溝が刻まれていた。五本、等間隔。爪で引っ掻いたみたいに。石は、硬い。人の爪でこんな溝はできない。できるとしたら、同じ石同士で擦った場合だけだ。
抱え込む石像は、腕の隙間がわずかに広がっていた。昨日まで胸に貼り付いていた腕が、ほんの数ミリ離れている。抱える力が、緩んだみたいに。
私は逃げたくなった。でも、足が動かなかった。視線を感じたからだ。カエル像の目ではない。石像たちの、顔のないはずの場所から、じっと見返されている感じ。見られているのは私というより、私の中の“柔らかいところ”だった。
そのとき、台座の上のカエル像の口元から、ぽとり、と何かが落ちた。
黒い水滴だった。雨ではない。濃く、重く、落ちたあとも丸いまま、石の上で震えている。鼻を近づけると、池の底の匂いがした。そこに混じる、鉄の匂い。血の匂いに似ている。
水滴の落ちた場所は、すぐに乾かなかった。石が水を吸うというより、逆に、石の内側からじわじわと湿りが滲み出しているように見えた。湿りは筋になり、うずくまる石像の足元へ向かって伸びた。
私はその筋の先を見て、喉が締まった。
うずくまる石像の足元の平たい石に、もうひとつ溝が増えていた。五本ではない。十本。左右の手の指の数。まるで、誰かがそこに正座して、両手で石を押さえつけ、身を固めたまま、少しずつ沈んでいった痕跡。
そして、沈んだ“形”だけが残っている。今ある石像の姿が、最初から彫られていたのではなく、押し付けられて、固まって、出来上がったように。
私は口を押さえた。吐き気ではない。叫びが出そうだった。声を出したら、ここに返事がある気がした。石が喋るのではなく、私の声が石の形にされてしまうような。
背後で、ぎり、と音がした。
振り返ると、カエル像が、わずかに傾いていた。角度にして、ほんの僅か。だが、確かに、昨日とは違う。笑っているように見えた口が、今は、開いているように見えた。飲み込む前の口だ。
その日、私は上司に「資材の一部が崩れて危ない」とだけ伝えて、あの一角を立入禁止にしてもらった。人型の石像は、処分する手配をした。トラックが来て、石像たちは積まれていった。うずくまりも、抱え込みも、何も言わず、ただ石のままだった。
翌週、立入禁止の札が倒れていた。風だと思った。だが、札の周りの砂利に、半月形の跡が残っていた。二列。規則正しい、爪のような跡。
あの一角には、また人型の石像があった。
新しく彫られたものではない。古く、苔が薄く乗り、角が丸い。姿は、私が最初に見た“抱え込み”よりもさらに小さく、さらに固く縮んでいた。まるで、胸の奥に何かを押し込めて、二度と出さないようにしているみたいな形。
カエル像は、高い台座の上にいる。変わらない。変わるのは、下に増えるものだけだ。
それ以来、置き場の石を数えるとき、私は必ず人の数も数える。帳面には載らない、石になった“姿”を。足りないと思った瞬間に、どこかで、ぎり、と音がするからだ。
この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。


