鉄骨に噛まれた街灯

写真怪談

その踏切の脇道は、いつからか「行き止まり」になった。

線路に沿って細い道路が伸び、右手には新しい高架化のための鉄骨が、同じ幅と同じ高さで何本も何本も並んでいる。巨大な骨組みが空を切り取って、青空を細く、薄くしていた。昔からそこにあった街灯は、その骨の間に取り残されたまま、緑がかった柱だけが妙に目立つ。まるで後から造られた鉄骨が、街灯を飲み込もうとしているみたいに。

踏切が鳴るたびに、赤い警報灯が点いて、遮断機が降りる。通過する電車の車体は銀色で、帯の色だけがくっきりしている。風圧がフェンス越しに吹き込み、掲示板の「危険」「立入禁止」の赤い文字が一瞬、まぶしいくらいに浮いた。

誰もが通る道のはずなのに、そこだけは妙に足が早くなる。

ある夕方、踏切が鳴った。音が高く、短く、いつもより焦っている気がした。赤い灯が点滅し、電車が来る。なのに私は、なぜかその時だけ、反射的に鉄骨の列を見た。

鉄骨の影が、ひとつ余計に落ちている。

影の数が合わない。柱が一本、増えている。増えたはずの柱は実体がなく、ただ“影だけ”がアスファルトを横切って、行き止まりの仮囲いの手前まで伸びていた。影の終点が、ほんの少しだけ脈を打った。

電車が通過する。窓の列が流れ、乗客の顔が一瞬だけ見える……はずだった。

見えたのは、顔ではない。

窓ガラスの奥に、まっすぐな緑の棒が立っていた。街灯の柱の色と同じ緑。しかも一本ではない。窓の数だけ、同じ緑の棒が並んでいる。車内に立っているのではなく、車内そのものが、細い柱で埋まっているように見えた。

次の瞬間、通過音がすっと消えた。

世界が、踏切の赤だけになった。警報音は鳴っているのに、耳ではなく、頭の奥で鳴っている。鉄骨の列が、ただの工事ではなく、巨大な檻の格子に変わる。格子の向こう側の空気だけが、黒く濁って見えた。

その濁りの中で、街灯が動いた。

街灯は、柱だ。動くはずがない。だが緑色の柱は、鉄骨の間で肘を曲げるみたいに折れ、ゆっくりと“こちらへ歩いた”。支柱の根元が、アスファルトの上を擦っていた。擦れる音はしない。代わりに、踏切の赤い灯が一回、強く点いた。

街灯の先端にある灯具が、顔みたいにこちらを向いた気がした。

街灯が、鉄骨の影の中に入った瞬間、影の数がまた合わなくなった。影が一本増える。増えた影は、私の足元にぴたりと重なった。影が冷たい。地面の影なのに、皮膚の上に貼り付いてくる。

私は一歩下がった。影も同じだけ下がった。

もう一歩。影も、同じ。

逃げても、影がついてくる。背後の踏切は赤いまま、電車はもう行ったのに遮断機が上がらない。赤は点滅ではなく、じっと“見開いて”いる。

鉄骨の列の中、格子の向こう側に、人がいた。

工事の人間ではない。ヘルメットも反射ベストもない。なのに形だけが「作業員の立ち方」をしている。首から下が細すぎる。胴体が、ケーブルみたいに細い。手足は関節ごとに折れ曲がり、鉄骨のボルトの位置に合わせて不自然に曲がっている。顔は見えない。代わりに、胸のあたりが赤く光っていた。踏切の警報灯と同じ赤。

赤が、私を呼んでいるのではない。赤が、私の“影”を数えている。

私は影から足を抜こうとした。だが影は粘り、靴底の形に沿ってまとわりついた。鉄骨の列がきしむ音がした。いや、きしみではない。格子が呼吸をしている。息を吸うたび、鉄骨がわずかに内側へ寄る。昔からあった街灯が、その呼吸に合わせて曲がり、伸び、私へと近づく。

足首に、何かが触れた。

冷たい金属。指ではない。棒状のものが、ゆっくりと巻き付く。見下ろすと、私の影が、影のまま“手”になっていた。地面の影が、私の足首を掴んでいる。

その瞬間、電車がもう一本、来た。

私は音で分かった。踏切の音ではない。遠くから近づく車輪のリズム。現実の音。私はそのリズムに合わせて、無理やり足を引き抜いた。影が裂ける感覚がして、膝が笑い、転んだ。

顔を上げると、遮断機が上がっていた。赤は消えていた。鉄骨は鉄骨で、街灯は街灯だった。緑色の柱はただ立っているだけで、少しも動いていない。行き止まりの仮囲いも、いつも通り白い。

ただ、アスファルトに、細い影の線が一本残っていた。

それは私の影ではない。鉄骨の影でもない。街灯の影でもない。どこにも繋がっていない線が、行き止まりの手前でぷつりと途切れている。

翌朝、同じ道を通ると、フェンスの掲示が増えていた。「危険!! 立入禁止」のすぐ横に、見慣れない紙が貼られている。黒い文字で、短く。

「影の移動に注意」

工事の注意書きにしては、あまりにも、具体的だった。

私は視線を上げ、鉄骨の列の隙間から空を見た。空はいつも通り青い。だが鉄骨の奥で、緑の街灯がほんの少しだけ、昨日よりも内側へ寄っている気がした。

鉄骨は高架のための骨組みだと聞いている。

けれど、あの踏切の赤が消えない時間があるなら。
あの格子が呼吸するなら。

あれは高架の工事ではなく、地面の下から“上がってくるもの”を、押さえつけるための檻なのかもしれない。

そして檻に噛まれた街灯は、もう街灯ではなくなっている。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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