網目の欠け

写真怪談

冬の畑は、どこか「音が吸い込まれる」季節だと、あの三人は口を揃えて言った。

郊外の古い農地の脇を、オレンジ色の安全ネットが一直線に走っている。畑と人の歩く道を区分けするための、仮設のフェンス代わり。住宅街の白い壁と赤茶の屋根、屋根の上の太陽光パネルが、昼の光を硬く跳ね返している。空は青いのに、足元だけが薄暗い。畝には葉の大きい作物が規則正しく並び、風がないのに葉先だけが小刻みに揺れていた。

放課後、学生三人が並んで歩いていた。脇道は車が通らず、話しながら帰るにはちょうどいい。けれどその日、ネットのそばに来た途端、会話が途切れた。

音が、遅れて聞こえた。

踏み込んだ瞬間の「ザッ」が、半拍ほど遅れて耳に届く。遠くから聞こえるわけじゃない。自分の頭の後ろで、誰かが同じ足をなぞっているみたいに聞こえた。

三人は笑って誤魔化した。寒さのせいだ、耳が変になったんだろう、と。それでもネット沿いを歩くほどに、遅れははっきりしていった。

やがて音が二重になった。一歩に二つ。片方は自分の足。もう片方は、畑の側から聞こえる。ネットを隔てて、見えない誰かが隣を歩いている。

誰も口にしなかったが、三人は自然とネットから距離を取って道の中央に寄った。寄ったのに、畑側の足音も寄ってくる。距離が詰まるほど音が近い。近いのに気配がない。匂いも温度も変わらない。足音だけが、存在を主張してくる。

「……やばくない? 今の、聞こえたよな」
一人がそう言ってスマホを取り出した。動画を回せば、何か写るかもしれない。今どきの“確認”は、だいたいそれだ。

レンズを向けた瞬間、画面が妙に暗くなった。露出が勝手に下がる。青空は青いままなのに、ネットのオレンジだけが濁って、錆びた色に沈む。

そのまま三人が二、三歩進むと、スマホの手ブレ補正が追いつかないみたいに映像が微妙に遅れた。自分たちの足が動いたあと、ほんの少し後から画面の自分たちが動く。現実の“半拍遅れ”が、映像にも貼り付いた。

そして、三人のスマホが同時に震えた。通知じゃない。アラームでもない。画面が勝手に点いて、時計が表示された。

12:12
12:12
12:12

全員が同じ時刻。放課後のはずなのに、正午の数字。更新しようとしても秒が進まない。12:12のまま、画面の明るさだけがじわじわ落ちていく。バッテリーは満タンだったのに、みるみる減った。

三人は立ち止まった。立ち止まった瞬間、遅れていた足音も止まった――と思った次の瞬間。

畑の側だけ、歩き続けた。

「ザッ……ザッ……」
こちらが静止しているのに、ネットの向こうで足音が前へ進む。畝を踏んでいるはずの音が、畝を乱さずに遠ざかる。見えない誰かが、彼らを置いて行く。置いて行く速度は、こちらが歩いていたときの“半拍遅れ”そのまま。遅れていたものだけが、剥がれて先へ行くみたいだった。

そのとき、住宅の二階の窓が一つ、すっと開いた。カーテン越しに誰かが見ている気配だけがした。顔は見えない。人影もはっきりしない。ただ「見られている」感覚だけが釘のように刺さって抜けない。

足音はどこかで止まった。ネットが少し弛んでいるあたり。そこだけ、ネットが風もないのに膨らんだ。内側から押されたみたいに、ふくらり、と。

「……切れてない? あそこ」
誰かが言った。破れてたら危ない。通学路だし、直す人に知らせないといけない。そういう“まともな理由”が、恐怖に薄い蓋をしてくれる。

先頭の学生が、ネットに近づいて指先で軽く触れた。硬いプラスチックの手触り。冷たい。張りはある。普通だ。弛みの部分も、見た目ほど弱くはない。引っかかりもない。穴もない。

なのに、そこを指でなぞると、途中で感覚が途切れた。指先がネットを滑っているのに、脳だけが「今、触れていない」と言い張る。目は“触っている”のを見ているのに、触覚が一瞬だけ空振りする。

「今、変じゃなかった?」
二人も同じ場所をなぞった。同じところで、指先が一瞬だけ浮く。ほんの一瞬。だけど、確実に“抜ける”。

確かめたくて、最初に動画を回していた学生が、カメラのグリッド(格子)を表示してネットに重ねた。網目にグリッドを合わせれば、歪みが分かる。これも、現代の自然な確認だ。

グリッドを合わせた瞬間、そこだけ“合わない”。網目は続いているはずなのに、弛みの一点だけ、画面上でマス目がひとつ欠ける。欠けるというより、そこだけ画素が雑に潰れて、四角が四角として成立しない。ピントも合わない。タップしても、焦点が逃げる。オレンジの線が、そこだけ別の色に滲んでいく。

「……ここ、写んない」
学生が息を飲んだ。

次の瞬間、畑側の足音がぴたりと止まり、代わりに、彼らの背後で足音が鳴った。
「ザッ」
三つではない。四つ。

振り返っても背後に誰もいない。けれど、影だけがあった。道路の影に混じって、もう一本、細い影が伸びている。三人の影の間に、ひとつ余計な影。太陽は前にあるのに、影は後ろに伸びている。おかしいことだらけなのに、その影だけが妙に“当然”みたいにそこにあった。

そして、スマホの画面にだけ、もっとはっきり出た。動画の中で、三人が立っている。立っているのに、影が四つある。影の一本が、ネットの欠けた一点へ吸い寄せられるように、じりじり伸びていく。

「……俺たち、三人だっけ?」
誰かが、冗談にもならない声で言った。

言った瞬間、ロック画面の通知欄に見覚えのないグループ名が出た。
“4人”
すぐ消えた。履歴にも残らない。けれど、その一瞬だけは確かに見えた。

その日から、三人のうちの一人は学校で「名前を呼ばれなくなった」という。出席のとき担任が名簿を見て一拍詰まる。呼ぶべきところに、呼べる名前がないみたいに。本人が「います」と言おうとすると、声が喉で止まる。周囲は彼を見ているのに、見ていない。視線がふっと外れる。

残った二人は、畑の脇を通るたびに足音が四つになるのを聞いた。聞こえるだけじゃない。時々、スマホの時計が12:12で固まる。数秒後に戻る。何事もなかったように。

最後に彼が学校へ来た日、二人は帰り道で例のネットの前に立ち尽くした。畑はいつも通りだった。住宅もいつも通りだった。空も青かった。

ただ、ネットの一箇所が、ほんの少し弛んでいた。内側から押されたみたいに、ふくらり、と。

二人は、その地点に二度と指を触れない。
写らない網目は、触れて確かめた人間から順に、数を減らしていく気がしたからだ。
三人の道を、四人分で埋めるために。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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