ジョーカーの席

写真怪談

実家のテーブルクロスは、文字やロゴが散らばった白い布だった。親戚が集まるたびに出てくる、少し派手で、少し古いそれ。料理の匂いと笑い声が染みついて、夜になると台所の明かりにだけ残る。

その日も、食後にババ抜きをした。勝った負けたで大人が子どもみたいに騒ぎ、最後は誰かが「片づけは明日でいいか」と言って、トランプは机の上にばら撒かれたままになった。

皆が寝て、家がようやく静かになってから、私はひとりで台所に降りた。水を飲みに行っただけのつもりが、電気をつけた瞬間、テーブルの上がやけに“整って”見えた。

散らばっているのに、中心にだけ視線が吸い込まれる。赤い10、赤い8、赤い2。黒い7。まるで誰かが「ここを見ろ」と言わんばかりに、数字が寄せられている。

その一番上に、ジョーカーがあった。

昼間もジョーカーは使った。市販の普通のデックの、よくある絵柄。だからおかしいのは“そこ”じゃない。

ジョーカーの角が、ほんのわずかに湿っていた。台所は乾いている。誰も飲み物をこぼしていない。なのに、指先にぬるりとした感触が残った。

裏返すと、ジョーカーの顔が少しだけ違っていた。

目元の線が、実家のアルバムに写る叔父に似ている。何年も前に亡くなった、私の父の兄。親戚が集まると、必ず誰かが口にする人だ。「あの人がいたら、もっと賑やかだったのにな」って。

私は気味が悪くて、ジョーカーをデックの中に戻し、カードを集めて輪ゴムで留めた。テーブルの上の数字の並びも、ただの偶然だと思い込むことにした。

翌朝、親戚たちは何事もなかったように帰っていった。残ったのは洗い物と、妙に軽い家の空気だけ。

昼のうちに片づけを終え、夕方、ふとテーブルクロスを見た。

クロスの中央に、赤い10と赤い8と赤い2が“跡”みたいに残っている。もちろんインクが移るはずはない。けれど、布の繊維がそこだけ寝ていて、光の当たり方で数字の形が浮かぶ。

そこにもう一つ、顔の輪郭があった。

私は笑ってしまいそうになった。疲れてるんだ、と思った。だから、輪ゴムで留めたデックを取り出して確認した。枚数が揃っているかどうか。ジョーカーが一枚きちんと入っているかどうか。

ジョーカーが、二枚あった。

一枚はいつものジョーカー。もう一枚は、昨夜見た、目元が叔父に似たジョーカー。

心臓が一拍遅れて鳴る。私は慌てて、親に聞いた。「このトランプ、前からジョーカー二枚入ってたっけ」

親は首を振った。「普通のやつだよ。買ったときから一枚だ」

その夜、私は眠れなかった。暗い天井を見つめていると、階下から、ときどき紙が擦れるような音がする。誰も起きていない。家鳴りにしては、規則的すぎた。

朝、台所に降りると、テーブルの上にまたカードが散らばっていた。誰も触っていないはずなのに。

中心に、赤い10、赤い8、赤い2。黒い7。昨夜と同じ並び。

その一番上に、ジョーカーがあった。

私はデックを開いた。輪ゴムは外れていない。留めたままの束が、確かにそこにある。中を数えるまでもなく、嫌な確信があった。

ジョーカーは、まだ二枚入っている。

テーブルの上のジョーカーを拾い上げる。昨夜の叔父の目元のやつだ。湿っている。指にぬるりと絡みつく。

裏返す。

顔が、少し変わっている。

叔父ではない。今度は、昨日まで笑っていた親戚の誰かに似ている。頬の肉付きと、薄い眉の形。思い出そうとした瞬間、名前だけが抜け落ちた。呼べない。どうしても口に出ない。

私は息をのんだ。怖いのは顔が変わることじゃない。

“思い出せなくなる”ことだった。

慌てて居間へ行き、昨日までいたはずの親戚の写真をスマホで探した。集合写真。食卓の写真。動画。どれにも、人数が一人少ない。余白が妙に広い。笑っていたはずの場所だけ、空席みたいに抜けている。

家族に聞こうとして、やめた。聞いた瞬間、私まで“抜ける”気がしたから。

台所へ戻る。テーブルクロスの中央に、数字の跡が浮かんでいる。赤い10、赤い8、赤い2、黒い7。

その横に、顔の輪郭がもう一つ増えていた。

ジョーカーを、捨てようと思った。燃えるゴミに出すとか、破って捨てるとか、そういう雑なやり方でいい。けれど指が動かない。カードは軽いのに、手首が重い。まるで、席に座ったまま立てないみたいに。

ふいに、クロスの上の数字が“ずれた”。

10の隣に、ハートの8が滑り込む。8の隣に、ダイヤの2が寄る。黒い7が、その外側にぴたりと付く。

ババ抜きの最後の形だ。最後まで残る二枚と、引かれていく一枚。誰かが誰かから“抜く”形。

私は喉の奥が冷たくなった。

この家で、親戚が集まって遊ぶたびに、いつも「最後の一人」が決まるまで続く。笑いながら、負けた人をからかいながら。けれど本当は、決まっていたのかもしれない。

勝ち負けじゃない。席の数だ。

この家には、食卓に座る人数が決まっている。足りなければ、カードが増える。埋まらなければ、誰かが抜ける。

ジョーカーは、その調整役だ。

私はゆっくり、叔父に似たジョーカーをデックの中へ戻した。二枚のジョーカーが、束の中で重なる。そこだけ、紙が擦れる音がした。

次の瞬間、テーブルの上のジョーカーが消えた。

散らばったカードはそのままなのに、中心だけがすっと軽くなる。数字の跡も、顔の輪郭も、布の上から薄れていく。まるで何もなかったみたいに。

私はその場に立ち尽くし、ようやく気づいた。

昨日からずっと、“思い出せない人”がいる。写真にもいない。呼び名も出ない。けれど、椅子が一脚だけ、妙に邪魔な位置に残っている。

誰かが座っていた場所の椅子だ。

そして私は、どうしてもその椅子を片づけられない。片づけてしまったら、次に抜かれるのが、誰かじゃなくて――私になる気がしたからだ。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

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