ISO 0 ― 光が抜け落ちるカメラ

写真怪談

中古カメラの箱を開けた瞬間、ひどく冷たい空気が手にまとわりついた。
金属の外装にわずかな擦り傷。クラシックデザインのデジタル機だった。
触れた瞬間、まるで人の手の温度を覚えているような感触があった。
だが、シャッターカウントは「00000000」ではなく、「999999」。
まるで、数を巻き戻した痕のようだった。

設定を確認していると、ありえない項目を見つけた。
ISO感度の最小値が——0
そんな値は存在しないはずだ。
だが、ためしにそのままシャッターを切ると、モニターにうっすらと影のような“目”が浮かんだ。

翌日、スタジオで同じ条件を試した。
ライトをつけて、壁を撮る。
その瞬間、部屋の空気が抜け落ちたように、音が遠のく。
現像してみると、壁の中央だけが黒く沈み、そこには映っていないはずの自分の背中が写っていた。
奇妙なことに、現場の壁を見ても、その部分の白がどこか灰色がかって見える。
光そのものが、抜け落ちたようだった。

それから、何を撮っても同じだ。
花の赤は褪せ、空は無色の膜に覆われる。
そして撮影した場所へ戻ると、どこか現実の方が薄く感じられる。
周囲の人々も、写されたものの話題を忘れていく。
「ここに花壇なんてあった?」
「この部屋、前からこんなに暗かった?」

夜、気づいた。
撮った写真の中でだけ、光が残っている
カメラを覗くたび、その光がレンズの奥で揺らめき、虹彩のような輪を作っていた。
それが、最初はただの反射だと思っていた。
けれど、あるときその“目”がこちらを見返したのだ。
まるで、自分の視界から奪った光を、レンズの中で再生しているように。

今、私の視界はどこか白っぽい。
誰かと話しても、その顔が輪郭だけでできているように感じる。
レンズの奥の“目”は、日ごとに鮮やかさを増している。
もしかすると、そこに残っているのは——私の視界そのものなのかもしれない。

そして、今日。
カメラの電源を切ったままの状態で、レンズの奥がゆっくりと光った。
シャッターがひとりでに動き、無音のまま、最後の光を抜き取っていった。

——ISO 0。
感度ゼロのカメラは、もはや“光”ではなく“記憶”を露光している。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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