水底に立つ森

写真怪談

湖の水面は不思議なほど静まり返っていた。風が吹いてもさざ波は立たず、ただ枯れ木だけが水中から真っ直ぐに伸びている。

観光客が「美しい」と口にするその風景を、地元の古老は決して褒めなかった。
「ここは森が沈んだ場所だ。木々はまだ立っておるが、根は水底に囚われている」

ある若者が夜に訪れ、湖畔で眠ってしまった。目を覚ますと、胸の奥が重く冷たく、息がしづらい。見渡すと、湖に映る木々の影が本物の幹と違うことに気づいた。

水に映った影の枝には、無数の腕のようなものが絡みつき、じわじわと水面を叩いているのだ。音はしない。ただ水が冷えてゆく。

やがて影の中から、ぽたりと雫のように黒い塊が落ちた。それは水面を破らず、沈むこともなく、若者の足元へじわりと広がっていった。

次の瞬間、彼は胸の奥に何かが入り込む感覚を覚えた。肺に冷たい泥が満ちていくようで、咳をしても吐き出せない。慌てて岸へと逃げたが、湖の表面には確かに彼自身の姿が映っていなかった。

今でも、湖に立つ枯れ木の影の中に、ときおり人の形が混じることがあるという。見えてしまった者は、やがて水底に引き寄せられるのだと。

この怪談は、実際の写真から着想を得て構成されたフィクションです。

 

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