遊んだあとの返送票

ウラシリ怪談

その問屋は、古い町のはずれにあるそうです。
縁日で配る景品や、子ども会で使うくじ引きの品、季節の玩具や飾りをまとめて扱う店だったといいます。
荷受けと出荷の口が、そのまま客用の駐車場に向いていて、昼間は台車の音と「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」が、ひっきりなしに往復していたそうです。

創業はずいぶん昔で、祭りや催しに必要な品を、町内会や店先へ長く卸してきたといいます。
何代目かの跡取りが戻ってきた頃から、商いの形が少し変わったそうです。
来店よりも画面越しの注文が増え、売上のかなりの部分が通販になったあとも、あの倉庫では「来た人には必ず声をかける」という習わしだけは残っていたといいます。

催しが消えた年の秋には、水鉄砲で遊ぶための競技用セットまで作られました。
紙の的を立て、その中央に丸く張った薄紙を、水を当てて破って競う遊びだったそうです。
それはずいぶん売れたそうで、箱の数だけ見れば、五万人ぶんを超えたとも聞きます。

異変は、その遊びの返送箱から始まったそうです。
まだ誰も出勤していない明け方、閉じたシャッターの前に、濡れた段ボールが一箱ずつ置かれるようになったのです。
送り状には運送会社の控えがなく、宛名も差出人も空白でした。
中には、紙の的が十二枚、丸い薄紙が十二枚。
どれも使い終わったあとのように中央だけきれいに破れ、水気を含んで、夏祭りの会場みたいなぬるい匂いを残していたそうです。

おかしなことに、返送票には商品名の代わりに、「町内会で一度やりたかった」「今週末は予定がなかったから」「迎えが来る前に終えたかった」といった文ばかりが書かれていたそうです。
しかも日付が妙でした。
その遊びがまだ考えられてもいないはずの年や、倉庫の写真だけが古く残っている頃の月が、平然と印字されていたといいます。
一九五九年八月。
二〇〇一年七月。
二〇二〇年十月。
誰かの悪戯にしては、ずいぶん手間がかかりすぎていたようです。

担当していた若い社員は、そうした箱を、倉庫の奥にわざと空けてあった細い棚へまとめて置いたそうです。
新しいことを考えるための“余白”として、荷を詰め切らずに残していた隙間でした。
けれど翌朝になると、その棚は必ず空になっていたといいます。
出庫記録はありません。
防犯映像にも、人の出入りは映っていません。
ただ音声だけに、駐車場のほうから小さな声がいくつも重なって、「ありがとうございました」と入っていたそうです。
それも、棚から消えた箱数と、いつもぴたり同じ回数だけ……。

さらに気味が悪かったのは、返ってきた紙の的のほうでした。
駐車場には車輪の跡がないのに、破れた薄紙だけが一列に並べられ、その丸い穴がすべて倉庫のほうを向いていた夜もあったそうです。
水で撃たれたような小さな痕が、シャッターの下端に、同じ高さでいくつも残っていたとも……。

総出荷数が五万一人分を超えた朝、いちばん新しい返送票が見つかったそうです。
宛先も差出人もない、薄い紙でした。
そこには一行だけ、
「遊ばせてくれて、ありがとうございました」
と印字されていたといいます。
シャッターを開けると、誰もいない駐車場に、濡れた足跡が二列だけ並んでいたそうです。
倉庫へ向かって来た跡だけがあり、帰っていく跡は、ひとつも残っていなかったそうです。

それから、その問屋では棚を隙間なく埋めるようになったといいます。
けれど、朝になると必ず、段ボール一箱ぶんだけの細い空きが、倉庫のどこかに戻っているそうです。
そして閉店後、最後のトラックが出たあとにだけ、誰もいない駐車場から、子どもたちの声で「ありがとうございました」が返ってくるのだそうです……そんな話を聞きました。

この怪談は、以下の記事をきっかけに生成されたフィクションです。

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